Naegi

逍遥

夜の隙間に好き 投げてよ

アニポケの一場面を思い出して泣きそうになることがある。無印第一話、生意気ピカチュウとの邂逅である。(サトシ目線)言うことを一切聞かないピカチュウに対して「君は僕が好き?僕は君が好きだよ」(うろ覚え)と言う。ピカチュウひよっこトレーナーのサトシに心を開くはずもない。それでもサトシはピカチュウに懐いてもらおうと創意工夫をする。

 

初期サトシの言動を辿ると、トレーナー/ポケモンを前提としているのがわかる。ポケモンはトレーナーに従って当然だと言わんばかり。ピカチュウがサトシに懐かないのも当然といえば当然だろう。

 

ファーストコンタクトは最悪だが、それでもサトシはピカチュウに確固とした愛を伝える。本記事冒頭のセリフは、最たる例である。

 

見返りのない愛。ピカチュウはサトシに心を開いていない。それでも、サトシはピカチュウのことが好きなのだ。文脈次第で毒になりかねない愛のように見えるが、サトシはピカチュウの感情を支配しようとしていない点が肝である。もちろん、当初は従わせようとはしているものの、サトシに対する感情は強いていない。君の気持ちはわからないけれど、僕は君が好き…と伝える。

 

愛じゃん!ピース!と叫びたくなる瞬間。僕は君が好き?君は僕が好きだよ。サトシのセリフを反芻する。

 

このブログで何度も述べることだが、二人の関係性のように見せかけた感情は往々にして自分に対する感情でもあるのだ。宇多田ヒカルのBAD モードは、セルフケアの歌としても解釈できよう。君は僕が好き?僕は君が好きだよ、と自分に対して言い聞かせる。

 

自分のことを愛そう!と言うことは容易いが、実践するのは難しい。長年染みついた癖は抜けない。酒を飲んだらネガティブになる。本音を話さざるを得ない局面を迎えたとたん、自分と向かい合うのが怖くなる。よくある話だ。

 

昨年のVogueの記事。宇多田ヒカルとジェーンスーの対談を読み返す。感情の起伏そのものを受け入れる。ちょうど落ち込んでいた時期にこの記事を見つけた。天啓だと思った。

 

向上心には自己否定が内包されている。今のままじゃダメだ。上を目指そう。そんな気持ちで受験戦争に臨んでいたのだがら、染みついちゃって仕方ない。就活もそう。研究もそう。幸運なことに、わりかしうまく乗りこなせているが、心がついていかない。論文が書けなくなってしまった。ゼミの時間、指導教員は私の不服そうな顔に気づいていた。

 

目下の成果発表会には、今までの成果をぶつける。今の進捗だと、3万字程度なら書けそうなので贅沢な悩みといえば贅沢な悩みだ。それでも、卒論執筆時にセレンディピティの旨みを味わってしまったから、わたしの期待値は上がってしまった。

 

まぁ、この気分のゆらぎに関しては、セルフケアでどうにでもなるので、それほど心配すべき事柄ではない。夜にハイエイタスカイヨーテやmoon child を聴いて、アロマオイルを垂らせば大丈夫になる。まだ、光はある。