Naegi

逍遥

Unrequited Loveとのつきあい方

Unrequited Loveを経験した友人の相談に乗っていた。

 

失恋上手になろう!と言っても、失恋を一般化できるものではないし、向き合うべき気持ちも一様ではない。とはいえ、うまく自己の気持ちを見つめないと、いつまで経っても執着は切れないまま。

 

かつての私も、こうした類の感情とはあまり向き合えなかった。毎回しっかり落ち込むけれど、年を経るごとに、対処方法にめどが立ってきたように思う。

 

友人にはアドバイスはしなかった。だって、置かれている状況・思考の傾向・理想はわたしと同じじゃないじゃん?前提に齟齬がある状況で、提案を行っても仕方ない。

 

わたしも思考を整理したかったので、記してみる。講釈垂れるわけではない。私は恋愛重視で生きてるわけではないので、ハウトゥーを述べられるほどの蓄積はない。

 

友情の話はたくさんしてきたので、今回は恋愛の話をしよう。友情と恋愛を別の項目として並列すべきかどうかはおいといて。

 

まずは、流れを止めないこと。湧き上がる気持ちを静観すること。傷口を塞いでも徒労に終わるだけ。日記を残すのでもいい。ひとりラジオをするのでもいい。親しい人に電話するのでもいい。とにかく、自分の思いを隠さないこと。ほんとうの感情に向き合うこと。話していて違和感があるなら、どこかに本音が潜んでいるはず。とにかく、アウトプットを止めない。とくに急性期では大切なことだ。

 

 

具体的な行動に移さないこと。連絡先を非表示にしたり、SNSのアカウントを見ないようにしたり…と工夫はいろいろできるはずだ。

 

失恋には焦りがつきものだ。まだ挽回できるはず、と思うことが多いかもしれない。今から変われば、前みたいな関係性に戻れるかもしれない、と思うのは世の常だ。ただ、後悔に振り回される時がいちばん、自尊心を欠いている状態である。

 

自尊心を損なわないこと!大前提だよ!恋愛関係における自分を嫌いになるなら、切ったほうがいいかもしれない。

 

あと、素晴らしい失敗もあるもんだから。出来事がプラスorマイナスに作用するかどうかなんて、結局長期的に見ないと分からないもんだ。

 

そもそも、形容詞つけてるの自分だし。失敗が災いして関係性に綻びが生じたならば、それは必然のことだったと思った方がいいかもしれない。

 

次は、メタ認知を試みてみる。失恋譚は古今東西に存在する。ひたすら、失恋の話を読む。時に思いっきり泣いてみてもいい。すばらしいカタルシス

 

急性期にはお勧めしない方法だ。余計に傷がえぐられるから。落ち着いたら、いったん自分をメタ的に捉えてみると、冷静になれる。

 

ちなみに、恋愛リアリティーショーとか、楽しい。演出ありかのものだから、あれをリアルと呼ぶのは憚られるが。さいきん話題のラブトランジットは面白かった。もちろん編集や設定には少し疑念があるものの、かなり微妙な心情を問題にしている作品だ。別に嫌いじゃないけれど、伴侶ではない。でも、相手はそう思っていなくて…。気持ちの行き違いをリアルに体感できる話だ。

 

…こんな感じかな。ちなみに、数年前のわたしは、うまく自分と向き合えなかったよ!一晩中、友人とカラオケしたり、故郷に帰って散歩したりしたけれど、その場しのぎの対処という感じだった。応急処置としては良かったかもしれないけれど。やはり、向き合うべきは自己なのだ。たまには逃避行してもいい。

 

インターネットで有名な話だが、没頭がいちばんの処方箋なのだ。(初出はオードリーの若林の言葉だっけ?記憶はあいまいだ)ほんとうに好きだと思えることに時間を割く。暇がいちばん心を蝕む。なんとなく触っているTwitterInstagramのフィードから離れて、好きなものと向き合ってみよう。できるかぎり、時間を忘れられるものがいい。我を忘れられるなら、なおよい。

 

個人的な見解として、恋愛は良い経験だと思う。(もちろん、恋愛至上主義には反対だし、全ての人が恋愛すべきだとか、恋愛しないのはおかしいだとか、そんな考えは持っていない。関係性が浅い場合、恋愛の話はしないようにしている。飲み会での恋愛の話も、強要しないようにしている)

 

たぶん、人生のこのタイミングで人を好きになったということ/付き合ったということには、なんらかの意味があるのではないか?と考えみても、面白いかもしれない。感謝できるような決別って憧れる。

 

もちろん、わたしも失敗を繰り返してきたから、恋愛が煩わしいと思うこともある。宇多田ヒカルが言うように、恋は喪失を内包しているものだ、という見解にも賛同してしまう。

 

それでも、わたしは人を好きになることは尊いことだと思うのだ。その気持ちを大切にしてみるといいのかもしれない。好きだった!ありがとう!と思える関係性っていいよね。

 

あと、恋愛での感情の浮沈を受け入れられるようになったら、自分を大切にできている証拠。しばしばエゴイスティックな感情と向き合わざるを得ないから、目を逸らしたくなる。でも、それはそうとして受け入れる。形容詞を勝手につけない!と言い聞かせる。

 

こんなことを考えていた。他人に期待をしてしまう。そんな自分が嫌になる。でも、他人に幻想を見るからこそ味わえる幸せもある。概念としての若さって、こういうことなのかもしれない。恋愛に限らず、人間関係全般において。期待するから、拓ける地平線はある。旅行だって期待するから行くのだ。幻滅したっていいのだ。幻ともうまくつきあえるようになる頃に、きっと心は成熟しているのだろう。