Olivia DeanのDiveは秋晴れによく似合う。
てか、毎日Olivia Deanを聴いてる。世界への讃歌だよな…と思う、祈りのような旋律を聴いて街を歩くのが好き。そうやって日常をロマンティサイズしていく。だいたい、何もない一日なんて退屈すぎて耐えられないよ。
社会人になってから2年半の月日が流れたが、どうも現在地に対するコミットメントが薄い気がする。
なるがままに下積みみたいな仕事を続けてきたのだが、そろそろ学習曲線が寝てきたというか…圧倒的な飽きがきてしまった。新たな刺激を求め続けて生きてしまう、きっと魂は遊牧民族。結婚してマイホームを買っている会社の同期を横目に、私は旅に行きまくってる。絶対に農耕民族ではない。
社内での人間関係の構築は怠ってきた気がするし、学生時代からの友人との物理的な距離がそろそろボトルネックになりつつある。なんというかテクノロジーでも解決できない問題はある。Zoom飲みが死語になってるのはなぜですか。学生時代みたいに、思いつきで飲みに行けた時代が懐かしい。思いつきが許されるのは一人での行動に限る。なんという豊かな孤独。しかし、予定調和すぎて飽きがきてしまった。
仕事にコミットしてる気がしたが、暇つぶしみたいなところはある。根無草にならないように、根を張るように…食べること以上に、belongingを求めている気がする。社会人サークルに入って青春アゲインキラキラとかでもないが、サードプレイスの乏しさは生活を蝕む気がする。何をするにもお金のかかるトーキョーで、家と職場以外の居場所って難しい。図書館は地味に騒がしいし、大学時代のような、自分の場所という感じがない。カフェ?チリも積もれば山となります。まぁ、カフェは文庫本一冊を読むのにちょうどいいのだが…あ、お金はかかるがビジホは良い。日常の雑務から切り離してくれるから。個室を担保してくれるから。何気に高いけどドーミーインは最高。住みたいくらい。
毎日日記が書けなくなった。愚痴のネタも尽きた。同じ話は三度すれば飽きる。ならば、架空の東京在住のアラサー女性に自分を仮託、投影して、手記を残そうという発想に至る。現在地に対しての愛着のなさがこういう妄想に至るのであった。冒頭の話に戻るが、日常にイメージを混ぜ入れるのに音楽はいい。大学時代が甘美な記憶でいるのは音楽の力が大きい。ceroのsummer soulを聴きながら歩き回った夏の並木道の眩さは、まだ鮮明。社会人になってからは Clairoを狂ったように聴いているが、灰色の日常においてもそれは甘美な退屈さとして蘇るか、あるいはあの頃夢見ていた、憧れの生活とした蘇るかのどちらかであろう。
現在地…と言ったが、この数ヶ月は単なる私的な旅行のために地球を南北に横断していた。北極点を超え、赤道を超え。降り立った瞬間に感じる土地の匂いが好きだ。北国に降り立った瞬間に香り立つ白樺の匂い、南国に降り立った瞬間のプルメリアの匂い。光もそれぞれ緯度に応じて角度が異なるので面白かった。北国は昼間というのにやや陰っていたし、南国は強烈な光が差し込んでいた。なんというか本当に地球って球体だったんだなということを感じる。飛行機でひとっ飛びできる現代においては、簡単に地球の動きを感じることができるのだ。
とはいえ、日常の大半を過ごす土地が、あまりにもつまらなすぎる。てか農耕型の人間ばっかり住んでる(比喩です)場所にわたしのような綿毛型の人間がフィットするわけない‼️と思いつつ、やっぱり仕事って生活が人質に取られてると思う。働き先に対する愛着はあるし、理念に対しては心の底から共感してるし、ある種のbelongはあるんですけどね。ほんとうに素晴らしい場所で働かせていただかせている。予定調和すぎるんだ日常が‼️日常の範囲内で動きなさい、わたし‼️と鼓舞したい。旅とかでも補填できない日常の空虚さって、ある。



