ここしばらくは別の媒体で文章を書いていたけれど、やっぱり居心地ははてなが1番良い。なぜなら資本主義と離れている気がするから。お金の匂いがしないから。
別に有料の配信をしていたわけではない。システムの中にマネタイズの要素が一つ入っているだけで焦ってしまう自分がいる。読まれなくてはいけない、読まれるための文章はどんな文章?と思案することもあった。
読まれる文章を分析すると、重要な要素はこうだ。文章の巧拙よりもむしろ夢を与えてくれるかどうか?というところである。ノウハウはそういう意味では夢に近しい。再現性の高さは読者獲得のための一つの指標となるようだ。夢を叶える方法。もう少し煽るならば、あなたが夢を叶えられない理由はこうだ、と宣うのだ。
知り合いは自作ホームページで文章を書いていると言っていて、確かに庭のような場所で文章を書くのは快いよなと思う。文章を読んでいるかもわからんのに、インプレ目当てでいいねをくれるのもモードの違いを感じてしまう。やはり適切な場所で適切な文を、となるとはてなはとても心地よい場所である。
もちろん、ユーザーがたくさんいる媒体で書くことも大事だが、それ一辺倒になると書きたいことが書けなくなる気もしている。良いところ悪いところ両方あるから、上手くバランス取りたいな。
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一会社員として働いてみて、ようやく手応えのようなものを感じている。昨日の夜はチームに貢献できている快さを感じながら眠りについた。
その一方で、わたしが本当にやりたいこと/心が踊ることについても明確な像が見えてきた。それは別に仕事を変えるとかそういう話ではなく、生涯をかけて何を為すべきか?という話。ライフワークは別に賃金労働者としての労働である必要はないのである。
どこかでビジョンについてお話しできるといいな。まだchat gptと壁打ちしながら温めている状態だから、いつかね。ロールモデルもなんとなくいるし、世界観もなんとなく考えている。
私のやりたいことはたくさんあって、いまは毎日ざっくり経営学/英語/その為資格に関する勉強をしているけど、やりたいことは全部繋がっているから、地獄のマルチタスクとなってもやり遂げたい意志は、ある!
潜ることと広げること。それぞれ両方とも必要だと思っている。
修論だけ書いていた学生時代はとても閉塞感を覚えていた。手を伸ばしてもどこにも届かない感覚があった。いま会社員しながら学びを続けつつ、いろいろ足を踏み入れていると、一つのことに没頭するのも良い経験だったなと思う。
わたしのADHD的タコ型のビジョンメイキングだと、どうしても中途半端になっちゃうし、浅くなっちゃうからね。広くて浅いやつもうgood night ってヨンスも言ってたし^_^強制力を持って怒涛のインプットとアウトプットできた経験は確実に今の私を形作っているなぁ。
今回はこれくらいにして、また海に潜ろう🪼