Naegi

逍遥

緑のすり身

すり身!エントリーシートに表出するわたしは、わたしのすり身だ。自己を矮小化してはいけないとあるけれど、就活ではアクの強さは御法度で、うまいことやらねばならない。わたしはどう足掻いてもアクが強い。所属組織が合わない場合、とことん息が詰まってしまう。

 

うまくいけば、とことんうまくいくタイプだが、いったん失敗すると、泥沼にハマるタイプ。泥沼に咲く蓮を見るために、泥の中をクロールしている気分。苦しい。気持ちの苦しさって、身体感覚を伴うことを知る。吐き気があるから苦しいのか、苦しいから吐き気があるのかわからない。この類の苦しさは、ソリューションを求めて開示すればいいものではないため、置き所が分からない。それほど生活に支障をきたすものではないが、気を抜けばへなへなと座り込んでしまう。たぶん、わたしがいままで経験してきた苦痛とはタイプが違う。たぶん、わたしはいま実存的な苦痛を味わったいるのだろう。往々にして私は不安や強迫観念に押し込まれてしまうが、この場合は違う。どちらかといえば、傷に近いのかもしれない。プライドが高い。わたしは、いままでの人生の課題をプライドの高さでなんとか解決してきた節があり、それがいまうまく機能しない。大学受験までは、自己の尊厳が脅かされた時、その防衛反応として、勉強に駆られていた。もちろん、勉強が楽しかったのもある。いまは、違う。エントリーシートの返事がないまま時は流れる。どうすればいいのだろうか。

 

「花束みたいな恋をした」では、就職活動の失敗を愛のようなもので埋めている。本当は埋まってなんかいないと思う。わたしは冷めた目であの映画を観ていたけれど、状況が状況ならわたしも誰かに自己承認をしてもらうことで気力を溜まっていたかもしれない。圧迫面接されたら、喜んで反論しそうとか言われるけど、実際はそれほどタフではない。

 

たぶんわたしは16 personality 診断ではENFJ、つまりプロタゴニストタイプである。主人公タイプとか言われ、理想主義者で繊細だと言われる。たぶん、わたしは理想に偏りすぎているのだと思うし、自分に対する批判にめっぽう弱い。だから、常に他人にどう思われているのか、あるいはどのような反応が返ってくるのか先回りして考えてしまう。だから常に心の中に自分が二人いる。感情的になってしまう自分と、客観視する自分。ある種、メタ的な語りが存在する。インターネットに毒されているといえば毒されるが、小6時点でセルフツッコミの多い文章を書いていたのだから仕方があるまい。三つ子の魂百までだから。

 

あなたはあなたのままでいい。けれど、他者と良好な関係を結ぶならば、もう少し自己認識を改めた方がいい、という進言をいただくが、わからない。わたしの文章を見ると、ある種のナルシシズムのようなものを感じるし、関心が全て自分なのがダメな気がする。でも、自分に対するハンドルを握ることはとても難しいし、一番厄介だ。心が壊れてしまった時、自分から逃れられないことに対して絶望を覚えてしまった。

 

自分との付き合いは上手くなった。部屋が綺麗。自分の部屋に閉じこもって読書を楽しめている。思索を楽しめている。でも、一歩外に出ると、たちまち自分との付き合いが下手になってしまう。うまいこと自分を梱包できれば、傷を避けることができるのにな。自己開示しすぎる性格が災いしているのかもしれない。

 

深夜にKIRINJIを聴きながらブログを書く時間が一番平和である。今日はペイパードライヴァーズミュージックをアルバム通りの順番で聴く。生まれる前にリリースされたことが信じられない。音楽は比較的、時間のわかりにくいメディアである。

 

 

心の奥底に隠していた悲しみとか疲労とかを拾い出すことができるから。実は、こうしたものが砂金だったりする。今しか書けないんだろうな。社会人になって忙しくなったら、この類の感情と向き合う時間がないから、表面上は悩み事が少ないのだろう。でも、いつか崩壊してしまう。向き合えるだけ、負の感情に向き合いたい。