Naegi

逍遥

バルコニー

ヨーロッパ某国を旅した際、屋外の座席で食事をとることが多かった。日本では屋外式の座席は好まれない気がする。虫が多いし日焼けしてしまうから。…流石にわたしは書籍ではないのだが、ヤケには気にするタイプなので!窓際の座席や屋外は嫌。

そんなことを思っていたのだが、パンデミックを契機に、日向ぼっこに興じるようになった。

 

幸福という言葉は、なぜか胡散臭い。というか、包含しているものが大きすぎるのと、絶対的な善性みたいなものにコーティングされているから。幸福の絶対性が怖くて、わたしは幸福という言葉を使用するのに、躊躇してしまう。たぶん、わたしは抽象概念ではなくて、具体的な事象から物事を定義すべきなのだろう。どちらかといえば、わたしは理論より実践というか個別の事例を扱う人間である。研究においても、この姿勢は顕著である。

 

わたしはたぶん、個別の事例から物事を思考する帰納法的思考をする人なんだなと思う。さいきん、幸福だなと思うことが増えてきた。たとえば、日向ぼっこしながら好きな文章をじっくり味わうとか、集中して文章を書いた後の緩まり方とか、新緑の空気を味わうとか、花の香りに満たされている時とか、

そうしたときに、幸福のイデアを垣間見るのだと思う。今までわたしは逆張り的に生きていた気がする。〇〇しなければないの圧に歯向かうようにして、物事を推し進めていた。あまりにも窮屈だった。〇〇しなくても幸せ、みたいな否定から入る幸福を享受していた。

 

いや、これを幸福として定義して良いのか疑問が残るところだが、私はたぶん、これでテンポラリーでファストな幸福をなんとなく味わっていたのだと思う。たぶん、飲み会の次の日が虚無で満ちていたのは、幸せの定義の逆張り感に起因していたのだと思う。

 

つらつらと書いてきたが、要するに素直ではなかったのだ。小さい頃から天邪鬼クイーンだったわたしは、いつも何かに対して憤怒していたし、ほんとうの心を隠していたように思う。豊かさはすぐそばにあったのに、見て見ぬ振りをしていた。足るを知らなかった。

 

ここ一ヶ月、わたしは今までになくわたしと仲良くできていると思う。分離した自分は敵ではなく、ともだちである。鏡の中にいるわたしは友だち。

 

部屋も綺麗に片付いている。部屋に光が溢れているような気がする。匂いも良い。この空間が好きだなと思う瞬間、わたしはここ数年の課題が終わりを迎えたことを実感する。

 

ようやく、わたしはわたしのほんとうの声を聞くことができるようになった。

 

思い返せば、大学入学時からずっと自分から逃げていた。ひとりになるのが怖くて、集団での活動に没頭していた。楽しかったが、疲弊していた。部屋にいるのが苦痛だった。

 

コロナ禍になって、自分と対峙さざするを得なくなったときわたしは想像以上に苦痛を味わうことになった。これほどまでに、自己と向き合うことは辛いのか。毎日、涙を流していた。過去のトラウマが夢の中で何度もフラッシュバックし、叫んでいた。

わたしは、そんな罵詈雑言に屈しません、と。

 

過去の傷と向き合うのも苦痛だった。怒りや悲しみに対処することができず、もがき苦しんでいた。どうしようもなく悲しくなった。所在なき感情と向き合うので精一杯だった。

 

だから、頻繁に自分に関する文章を書き残していた。セルフイメージを繋ぎ止めるのに必死だった。断片的な自己をなんとか繋げたかった。

 

一貫性は本来ないのだが、自己像を確立するにはある程度一貫性のあるナラティブで語る必要がある。無理して、背伸びして、自己を語っていた。

 

去年はひたすら背伸びしたり、楽しんだりする一年だった。充実していたし、楽しかった。でも、なんとなく忘れ物の存在が気になった。

 

忘れていたもの、というより意図的に置いていたものに対して声がけをすることができるようになった。ようやくだ。わたしは、この日々の豊かさに気づけるようになった。幸福は思ったより近くにあった。そして、わたしの置き場所のなかった感情は、すべてわたしによって包まれているように思う。