Naegi

逍遥

感傷

またもや、この寒暖差にやられてしまった……

思っているほど状況は悪くなく、むしろ最近はあらゆることがうまくいっている。ついていけないのは、わたしの心と身体である。2年前、同期が本選考で病んでいる時期に私も鼻の調子を崩していて、この時期特有のものなのかもしれない。花粉飛散を許さない。

 

適性検査受験のお願いとか、説明会のお知らせメールを横目に、今日はひたすら横臥する一日だった。たぶん、わたしは走り回らないと気が済まない気質である。だから就職という道を選んだのかもしれない。

 

今日はいつものやらねば!の呪縛から解放されたので、コンビニで好きなものを爆買いしてきた。体調が悪いからこそ許される所業である。

 

それにしても、普段出歩かない時間に歩くと、いつもの街が違った街に見える。あまりにもルーティンに落とし込みすぎた。研究してご飯を食べて…考えられるものも考えられなくなる。

 

この街に来た日を思い出す。入試のために訪れた時だった。ああ、この街に住みたい。強く願ったものの、試験の出来はよくなくて、落ち込んだ。蓋を開けてみると、合格していたので杞憂に思ったのだけど。わたしは、この街に根ざしているわけではない。それがあまりにも、もどかしい。友人の多くは遠方へと引っ越してしまったし、学生以外の知り合いは少ない。あと数年すれば、この街にある知り合いはいなくなるだろう。それが悲しい。

 

学校という組織はあまりにも新陳代謝が良すぎる。

去年、大好きな友達が卒業してしまったとき、ほんとうに悲しかったし、今年も仲良かった人たちが遠方へと行ってしまうので、別れに次ぐ別れだ。そして、順当に行けばわたしもあと一年でこの街を離れる。信じられない。カウントダウンが始まってしまった。

 

そんな気持ちと裏腹に、わたしは来年以降住みたい街を考えていた。就職先と配属先に依存するが、妄想ならいくらでもできる。可能なら、生まれた街に戻りたい。荒井由実を聴きながら、歩きたい。生まれた街には16年戻っていない。あと一年したら、17年ぶりに、生まれた街に住みたい。転校を重ねて、地元から遠く離れた大学に行った先に向かう場所が、生まれ故郷だなんて。ちょっとおかしな話だが、どうしてもあの街の愛着は消せない。高校時代も、ずっとあの街に戻りたいと考えていたし、大学時代も何度か足を運んでいる。ここまで執着するのもすごい。ノスタルジアはやっぱり病気だ。

 

そういうこともあって、わたしは故郷について想いを馳せていた。あまりにも人工的な街だが、これが故郷なんだからわたしはいまだに新興住宅地が好きだ。どうしようもない。

 

将来の具体的なビジョンを考えるのが嫌で、週末に何しようかなと考えることで精一杯だ。ライブに行きたい。美術館に行きたい。海に行きたい。理想の散歩ルートを考えていた。

 

とはいえ、毎日ブログを書いているおかげかエントリーシートをすらすら書けている。考えていることを文字にするには鍛錬が必要なのだ。そして、文章を書くために文章を書くのではない。考えていることを逃さないために文章を書く。そうすれば、私の言葉は借り物ではなく私に由来する言葉になる。

 

結局就活は言語化ゲーなので、わたしは諦めずに文書を書き続けるよ。大好きな生まれ故郷に住んでいた時、どんな子どもだったかについては覚えてはないが、つっこまれたときのために考えておく…。

たぶん、いまとそんな変わらんな。年次関係なく友だちを作っていたし、わりと社交的だった。学問オタク気質もあったし、本の内容を暗記していたのもそんなに変わらん。感情はわりと豊かな方で、振り幅が大きいのも一緒。案外、生まれ持った気質は変わらない。まぁ、地方都市時代はあまりにも抑圧されていたが、これは土地がそうさせたのか、学校というシステムがそうさせたのか分からない。でも、たぶん私が生まれ故郷に住んでいた時代は、今のわたしと一緒、つまりわたしらしくいられた時代だったはず。だから懐かしく思ってしまうのは無理もない。

 

就活がんばろ。原点回帰だ。