Naegi

逍遥

樅木のメタモルフォーゼ 道東旅行記②

暗闇の効用について考える。何かの記事で、暗闇での逍遥が、自然への畏怖を蘇らせると書いてあった。本当にその通りである。

 

北海道旅行の締めは、恐怖の暗闇峠越えであった。車の後ろには、一面の闇が広がる。街灯はない。釧路から札幌へと向かう旅路は、闇との向き合い方を考え直す契機になった。

 

さて、北海道旅行記録の続きを話そう。何を隠そう、この度は千キロ走破の旅だ。友人に運転してもらったことを話すと、新手のハラスメントか?と言われた。

 

確かにそうだ。わたしは一回もハンドルを握らずに千キロ旅してしまった。おかしい。わたしもハンドルを握れるようにしなければ。運転できることの必要性をひしひしと感じる旅であった。友人には感謝の気持ちでいっぱい。

(旅の後、何度も運転する夢を見た。ペーパードライバヴァーズミュージックはそろそろ卒業しなけれならない)

 

2日目。1日目の夜は、失言を多発していたので少々自己嫌悪に陥りながらの起床、でも知床の素晴らしい自然がそんな気持ちを吹き飛ばしてくれた。

 

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知床五湖の散策からスタート。雲で隠れていた知床連山が徐々に顔を出していく。

 

最初は電気柵を張り巡らせたウッドデッキを歩く。

尾瀬に行った時も思ったけれど、やはり人工物は直線的である。確かに、利便性の高い道だけど、これだけでは物足りない。

 

熊の恐怖に駆られながら、遊歩道へ降りる。

 

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こんなところでミャクミャクに出くわすとは思わなんだ。

 

木彫りの熊は全然怖くないし、テディベアは可愛い。

 

数学教師は、熊になぞらえられていた。

理由は「べや」が口癖だったから。どうやら先生は北海道大学を卒業しているようだ。大学で北海道の方言が身についたらしい。「言ってんべや!」とよく怒っていた。べや→ベア→クマ。いかにも中学生的な連想ゲームだ。

 

かく言うわたしも人のことがいえない。下手くそな関西アクセントがわたしの「語り」を支配するからだ。

 

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わたしの「語り」は、よく横道に逸れるが恐怖に支配されると一直線である。

 

熊がこわい!と言い続ける。八百円くらいの鈴を惜しむことなく買えばよかった。これから国立公園を巡るというのだから。

 

とりあえず手を叩いて、歩く。青山テルマばりに「わたしはここにいるよ」とクマに伝える。

念願成就したのか、熊には出くわすことなくゴール。最近クマの出没が増えているらしいから、運が良かったのかもしれない。いや、そもそもクマの棲家にお邪魔しているのだ。家主に合わなくてよかった、なんて泥棒じゃないか。

 

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見渡す限りの熊笹。鹿が熊笹の葉を喰む音に耳を澄ませる。熊じゃなくてよかった。電気柵にぶつかるところなんて見たくなかったんだわ。

 

耳をすませば、鹿。カントリーロードは鹿の棲家へと続いているよう。

 

 

皮肉なことに、入り口の店で鹿肉バーガーを食べる。ジビエは初めて。おいしかった。ここのお店、本当に魅力的な商品だらけだった。UTARIのステッカーがあまりにも可愛くて、購入。北海道旅行でいちばんお気に入りのお土産である。

 

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峠に向かう。快晴だった。海峡の対岸には島が見えた。

 

ここから阿寒湖へドライブ。延々と続く広大な風景に惚れ惚れする。わたしがユ〜ラシアの草原や砂漠に惹かれるのと同じだ。

 

それと、文学作品が誘ってくれたカナダやドイツの田舎の風景をも思い出した。たしか北海道の農場経営の方法って欧州由来だから、風景が似るのも納得か。ヨーロッパと気候が似ていたから、プラントハンターがこぞって北海道を訪れていたとか。『ふしぎな国のバード』で学んだ。あれ、いい漫画だからおすすめだよ。

 

そういえば、運転していた友人が「セイコマはドライバーにとってのオアシスだから」と言っていたのがよかった。確かに、この道はまるでシルクロードのようだ。ユーラシア!いつの日か行きたい。

 

 

阿寒湖までの道のりは長かった。針葉樹の山と鹿に出迎えられた。ここでガス欠したら、樅木が魔物に見えるだろう。脳内BGMは、シューベルトの魔王だ。Mein Vater,Mein Vater 魔王が怖いよ…というのだろうか。でも、大丈夫。ここにいるのは友人3人とわたし。旅は道連れ。道連れ…デスゲームが始まるところだった。

 

そんな妄想をしていたら阿寒の街につく。

山の中に豪華絢爛な旅館街あるのだから、シャングリラかと思った。もちろん、ジェームズ・ヒルトンの『失われた地平線』のあれ。わたしは途中、気を失ってシャングリラへと迷い込んだのか…なんて。

 

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もちろんここはシャングリラではなく、阿寒湖だった。とても素敵な宿に泊まった。いいサービスだった。快適だった。…もしかしたら本当にシャングリラだったのかもしれない!帰りたくなかったもん。

 

楽園って、見方を変えればディストピアですよ、という指導教員の言葉を思い出す。確かに道中、徒歩で行くとしたらデスゲームが始まってもおかしくないような道が…樅木は怪物に見えたし…。

 

針葉樹ってエヴァーグリーンとか言われているけど、翻って生命を感じさせないのは一理あるかもしれない。糸杉はたしか不吉なイメージが付与されていたはず。宮沢賢治は「春と修羅」で、ZYPRESSEN と糸杉のドイツ語訳を使っていたっけ。針葉樹が好きなのは、照葉樹林の生い茂る穏やかな気候の都市に住む人間だからかもしれない。あまりにも緊張感に欠ける。

 

 

 

夜、阿寒湖畔を歩くアクティビティに参加。面白かった。アイヌに対するオリエンタリズムは感じざるを得なかったのだが、阿寒湖観光のあり方を振り返ると、このような延長にならざるを得ないのか…

 

釈然としない部分もあったが、わたしはナイトウォークを楽しむ。わずかな明かりが阿寒湖畔と山の稜線を照らし出す。そこにあるのは静寂だった。

 

マジカルな小道具を持って散策するのだが、最後軽トラに乗せられていくのがおもしろかった。夢破れて山河あり。ファンタジックな世界観が破れてもなお、阿寒湖は厳かな雰囲気を纏っていた。

 

さて、ここでも感じたのだが、闇はそれ自体、ファンタジーを構成する。闇にいることは、手探りで物事を感じること。生まれ直すことを意味するようにも思う。あらゆるものがシステム化された世界に生きていると、根源的な生を軽視してしまうように思う。

 

もちろん、この見解が言い古されたものであることは承知だが。 

 

本当の意味でのファンタジーは、プログラムが終了してから始まったといっても過言ではない。終業時間を迎え、真っ暗になった河畔の建物は、闇の神秘を告げる。これこそ、わたしが求めていたものかもしれない。

 

ただ、ちょっとわたしの関心がプリミティブな何かに寄ってることも否定できないと思う。闇を礼賛することは、前近代の憧憬である。これとアイヌオリエンタリズムは容易く結びつく。

 

阿寒湖の発展は、こうしたバナキュラーな文化の中に成立していたことを踏まえると、簡単に否定することはできまい。が、バブリーな観光地を見ると、無批判に楽しむこともできまい、と思う。

 

分岐点にある場所なのかもしれない。

 

ヘトヘトになりながら、温泉に浸かる。旅も後半戦、次の日は5時起きで美幌峠に行くのであった…。

 

闇と来たら次回は光の話!と言いたいところだが、恐怖の峠越えの話をしたいので、結局闇の話になる。陰翳礼讃なのである!