学生から労働者へと変わることはドラスティックな変化だ。残る月日もそれほど長くないことも知っている。興味に従って生きていけるのも、あと数ヶ月、とすると、いわば余命宣告のような表現だが、ある種の制約が人生をまた輝かせてくれることも知っている。だから、わたしは希望を持ち続けている。
この数ヶ月間、成果の出ない日々が続き、早く勤労したいと願うばかりだった。が、砂金を掘り当てたような達成感は研究でしか味わえないのも事実で、たぶん未来に縋ってもしかたがないという諦念じみた気付きも得た。
未来は幻想だと思う。最近は。
恋愛物語は「まぼろしとの付き合い方」を会得する物語だと考えている。未来に対して仮託するイメージをいかに従えるかという葛藤を描いているのだ。期待という表現は、換言すれば幻である。
そんな言い方をするのは、わたしが共同幻想を解体するような研究をしているから。世の中にあるステレオタイプは共同幻想であり、いかなる力が働いて形成されているのかを考えることが肝要なのだ、と思う。連想ゲームで喚起されたイメージに対して一歩立ち止まるタイプの研究。わたしのことを懐疑的だというひとがいるが、あながち間違ってはいない。
ある種の生きづらさも伴うため、研究的な視座は実生活に持ち越さないよう節制していた。でも、そうせざるを得なくなった。齢24になれば、結婚や出産といった話が比較的現実的な話として飛び込むようになったからだ。
イエSystemに対する幻想。根強い。本来ならば個々人の定義によって幸福が存在するのに、ステータスがさきにある。結婚することが幸せ、子どもを産むことが幸せ。そうしたナラティブに呑み込まれないよう、わたしは懐疑的な視点を生活に持ち込む。
卑近な話をすれば、恋愛もその一例である。たぶん、恋愛から始まる恋はうまくいかない。ここでの「恋愛」とは、「相手を求める行為、ステータスを求める行為」である。相手が欲しくて、関係性を進めるならば、どこかで綻びが生じると思わざるを得ない。自分の理想を他者に投影し、うまく振る舞わなかったら落胆する。
他者に期待をするな、とか自分軸で生きろ、とかよく聞くでしょ?この話って全然表層の話じゃなくて、共同幻想的なナラティブとの付き合い方がうまくいっていない可能性を考慮しなきゃいけない気がする。この手の話をすると、他者に依存する自分に非があるのでは?と、ざっくりとした自責思考に陥ってしまう気がする。もう少し、細分化して考える必要があるのだ。
他者に対して理想を投影するのはなぜ?その理想とは、どこから生じるの?たとえば、「この人なら恋愛関係を結べそう」と思ってアプローチする。根底には「恋愛関係を結べば幸せになれる」という思い込みがある気がする。関係性ありきで考える恋愛は疲弊するし、とことん自己が暴走していく。相手はなぜこちらに来ないのか、と落ち込んでいく。
…ただ、漠然と「この人なんか好きだな」という気持ちは大切にしたほうがいいなとわたしは思う。そう思える相手って、なかなかいないけれど。だからこそ、大切にしたほうがいいのかもしれない。恋愛関係に落とし込む必要はない。ゆっくり、その人との関係性の変化を楽しめばいい。陽光の変化を感じ取るように。無理やり季節を変えようとしても無理でしょう。その微妙な移り変わりを楽しめるような関係性があればいいな…と思う。その関係性に名前はいらない。
そんなふうに考えると、未来を考えることは意外とナンセンスなのかもしれない。尊敬する友人のひとりに、未来のことを思案しない人がいる。流れるままに生きればよいと話していた。
こんな具合に、わたしは名前のない関係性が好きだし、グラデーションの中間色のような感情を持っていたい、と思う。言語化を拒否する気持ちはあったほうがいい。
わたしは必死なのだ。たぶん。だから、気持ちに整理が追いつかなくて、時々息が切れる。未来は幻想だから。名前のない感情を大切にしたいから。そうは言っても、なかなか共同幻想との縁は切れない。
ウェディングドレス着たいなぁ♡綺麗なマンションに住みたいなぁ♡という気持ちは捨てられない。時には幻想に縋ることも大切なので、まぁ意識的に幻想を愛してもよいのかもしれない。
こんな具合に、わたしは信念が強いので、いろいろ大変なことがあるのかもしれないが、試練の波に乗ってみたい。気概だけはある。波を乗り越えたら、宝物を発見できるかもしれないから。たいていの場合、私の目の前の艱難辛苦は大きな気づきをくれた。もしかしたら、困難とか試練とか仰々しい名前をつけないほうが適切なのかも。
ここで宣言タイム。働くまでの目標をここに記そう。
①自分のリズムで生きる術を得ること。
これは大好きな歌手iriの歌から拝借した表現である。
歌詞を紹介するよ。
時の早さに身を委ねて
なんだって単純答えはなくて
ブルーならブルーでそれでよくて
私は私のrhythmで
時々rhythmが崩れちゃって
涙が止まらないこともあって
それでもしっかり
この足で取り戻すの
私のrhythmで
(引用: iri 「rhythm」)
あぁ、これネガティブケイパビリティだ…と思う。
宇多田ヒカルの「BAD モード」でも思ったけれど、ネガティブな感情を悪く捉えない姿勢って大切なことだと思うのね。
働き出せば、自分でコントロールできない事象にたくさん出くわして、その度にネガティブな気持ちになると思うけれど、それを静観できるようになりたいなと思う。ブルーな私を抱きしめられような器を得たい。まずは修論執筆の過程で練習したいな。
そのためには自分のリズムを保つこと。奔流に飲み込まれても、私のリズムがあれば溺れずに済むだろうね。具体的な術を挙げるならば、音楽を聴くこと、文章を書くこと、じっくり思案する時間を確保すること、本を読むこと、だと思う。
②自分とまったく異なる枠組みで考えてる人も受け入れること
頑固で理想だらけのわたしは、時に他者を拒絶してしまう。特に、考え方がまったく別の人に対して、拒否してしまう。ダイバーシティのまったく逆だよ、と思うのだけれど、過去の傷が自体を厄介にする。
トラウマじみた経験があると、どうしとも拒絶してしまう。傷つきたくなくて、逃避する。
しかし、これではecho chamber症候群に陥ってしまうのも自明で、とても偏屈な人間が錬成されてしまう。わたしはもう少し、フラットに物事を捉える必要があるのではと思う。まずは言語の使用方法から考えなおしたほうが良いのかもしれないねぇ。
あと、断罪的なコミュニケーションを避けること。
イメージ論で語るのをやめること。この二つを押さえれば、なんとか生きながらえることができそう。まぁ、大人数で話すのとか少し不得手なんだけどね。
うまくこの辺りを会得してから、労働者になりたい。