Naegi

逍遥

海峡

今日も今日とて下書き放流。

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この地方の水辺が大好きだ。遠く離れていても、きっと恋しく思うことでしょう。

 

海峡の見えるカフェで文章を綴った。

 

 

私の尊敬する友人の話をしよう。自分の幸福に対して、とてもストイックな友人。どんな好きだった恋人に対しても、違和感があればすぐに関係性を終わらせることができる。とてつもない才能だ、と思う。執着を持つことなく、自分の幸福に対してとことんストイックな様子に惚れ惚れする。

 

私には到底できない態度だ、と思う。常に他人の顔色を伺い、相手が好きそうな返答をこしらえてしまう。これも、ある種の才能というべきかもしれない。chat GPT的な返答能力。要らない。コミュニケーションにはあまり苦労しないが、帰宅後の疲労感が一気にのしかかる。

 

過去の失敗を振り返る。わたしは常に、他者の視線を内面化するきらいがある。インスタグラムやブログの運用は、そうした呪縛から解放するためのツールだと思っている。換言すれば、他者からの批判を想定しつつ表現するための場所である。皮肉なことでしょう。

 

そんなことで、わたしはカメレオン的変用を遂げるため、一人でいる時がつらい。本当の自分とは?なんて凡庸な問いを見つめる。平野啓一郎が言うように、自分というのは「分人」の集合体で、一つの自分というものは存在しないらしい。

 

そんなことで、わたしは一人でいる時は些末な悩みを抱えて仕方ないのだ。水のあぶくのように、現れては消え、を繰り返す。水辺で過ごすのは、そんな気持ちから離れたいからである。

 

今日は水辺に来ている。川よりもずっと大きいが、川みたいなところ。船が行き来しているから、川のように見える。私は海峡という地形が好きだ。対岸が見えているからというのもあるかもしれない。何かに守られているという安心感。外海に通じる不安はない。

 

井の中の蛙をもう少し肯定的に捉えてもいいのかもしれない。温室育ちの温室を肯定したいように、井の中の井を大切にしたい。

 

拡大ばかりが礼賛されるなかで、対岸の霞を霞として受容する心持ちが必要な気がする。霞の先には霞しかない。海峡の先の雲を見ながらぼんやり考えた。

 

そういえば、満月の日にこの海峡を訪れたことがあった。インスタグラムに投稿したところ、I can see ray spinningとのコメントがあった。月の光が水面に照射する様子を捉えた言葉だった。