Naegi

逍遥

ヨーロッパ・アルプスと信州

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ゴールデンウィークも終わった。おかしなことに、休暇中は冬の北海道について文を書き連ねていた!来るべき春を享受することができないまま、季節は夏へ。

 

ちなみに、休暇中は山と清流を見た。

石川美子『山と言葉のあいだ』を読んだところだったので、谷底の流れに対する意味づけをすることができた。それは、フランス・アルプスとのアナロジカルな視点である。エッセイでは大町市の川が、ちょうどアルプスの河川に似ているとのことである。白濁した水と、アルプスの渓谷!

 

ここで純粋に疑問が湧く。なぜ日本の山々も「アルプス」と呼ばれるのか、ということだ。アルプスといえばヨーロッパの国々に跨る山を指すことは自明であろう。「日本の」アルプスと称しているところから、近代以降の西洋コンプレックスをうっすらと感じる。確かに、癖として「スイスみたい!」として、風景を礼賛することはあるのだが、その源流はどこにあるのだろうか…。

 

白昼夢のように、信州の山々のことを考える。ふとした時に、山々の姿が思い出される。

 

塩の道を辿った。古の録画リストを漁り、鯖街道の会のブラタモリを観ていたから、塩の道を辿れたことは祝福されるべき幸運というべきか。もちろん、鯖街道は福井〜京都の街道で、糸魚川塩尻の塩の道とは大別されるのたが、両者ともに深い渓谷を縫うようにして走る街道であった。鯖街道に関しては、二つの断層によって作られた街道であった、ということは予習済みであった。

 

塩の道はプレートの境目だったのだ!フォッサマグナという言葉は地理や地学の授業で学んだが、まさに塩の道がプレートの境目を走っているとは!(厳密に言うと、ルートは少し異なりそう)

 

白馬の麓から糸魚川に流れる姫川の流れを見ると、古の街道なのであろうことがわかる。急な流れだが、姫川に沿うようにして道ができていた。

 

姫川の源流に降り立ち、そこから海までの「巣立ち」を見届けたことになる。壮大な旅といえば、壮大な旅だ。が、川にしては短いのではないか、あまりにも急峻な流れなのではないかとも思った。

 

実際に赴けばわかるのだが、白馬から糸魚川はかなりの高低差がある。あの距離で川が完結するのは早すぎるのではないか。ましてや一級河川だぞ、とも。

 

Wikipediaのページを眺めるだけでも、姫川は決して穏やかな川ではないことがわかる。姫という名前を冠していることや、源流のおだやかなせせらぎからはいささか信じられない事実である。

 

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西洋コンプレックスの話をした

 

私も姫川がまだ小川だったころの流れを見て、ラヴェルの「洋上の小舟」を思い出されずにはいられなかった。里山のおだやかな風景を見て、映画『call me by your name』の、クレマ郊外の畑道を連想したから。エリオとオリヴァーが自転車を漕ぐ中で、ラヴェルの曲が流れる。

 

日本の名山を見る度に、ヨーロッパのアルプスを考えてしまうようだ。私も。長野が北イタリアに見えて仕方なかった。湖に小川、山。イタリアを訪問したことはないから、映画や文学の記憶を頼りに構築された北イタリア像のことだ。きっと、その奥底には長野の原風景があるのだろう。