Naegi

逍遥

流れ

電車に揺られ、見知らぬ町の鉄橋を越える瞬間に涙を流したことがある。川辺で走る人、犬を散歩させる人が見える。今後の人生で交わることはない。ちょうど、Corneliusの「変わる消える」を聴いていたからかもしれない。好きな人、好きな場所、好きなものが気づけば消えていた。消える前に言わなきゃ、と歌詞は訴える。

 

わざと鈍行の列車に乗ったのは、それゆえのことである。急流に追いついていない。そんなことを最近感じている。たぶん自分も変わりつつあるから、人や居場所、ものとの決別があるのだろう。わたしは別れに対して寂しさを覚えるものの、基本的にネガティブな意味を付与していない。というか、受け入れるほかならないから。たぶん、みんな川の木の葉だから、流れを統御することなんて、できない。出会ったのも巡り合わせか何かによるもので、別れも同じく巡り合わせ。もう仕方ないのだ。自分が変えたりすることはできない。

 

こんなことを考えて、Corneliusの「変わる消える」をもう一度聴く。確かに切ない歌だけど、諦念のようなものを感じる。作詞者・坂本慎太郎のアルバム「物語のように」収録の「君には時間がある」とも重ね合わせる。悩む時間はない。思ったことは思った瞬間に言わねばならない。流れがあるから。流れてしまったら戻れないから。考えている時間なんてないのだ。そして、考えたところでどうにもならない。

 

この歌を歌うmei eharaさんの歌声がいいのよね。

荏原さんの楽曲自体も、どこか諦念があるというか、浮草であることを肯定している気がする。

さいきんは荏原さんの「ゲームオーバー」をよく聴いている。歌詞がいい。もうやってしまったことは仕方ない。どうしようもない。そうした肯定的な諦念がいいのだ!

 

不屈の努力とか、そうしたマインドもいいのだが、努力ではどうにもならないこともある。基本的に根性論で物事をどうにかしてきた過去があるので、流れに身をまかせるマインドに切り替えた方が楽に生きれるのかもしれない。

 

偶然が運ぶ煌めきを見逃さなければ、それでよいのだ。