春の桜と秋の金木犀は、持て囃されている花だ。
桜は言うまでもないが、根強く開花が待たれている花なのではないかと思う。
ちょうど、金木犀は満開である。マスクを下げて、空気を吸い込む。鼻腔いっぱいに広がる香り。
…こんな表現をたくさん見てきた。もう、うんざりだ。みんな金木犀が大好き。鼻腔いっぱいに吸ってしまう。
それほど金木犀は強く人気のある花だ。
桜ほどの華やかさはないが、軒先から香る、あの地上に溶け込んだ感じがたまらなく良い。
桜がメインストリームに位置するならば、金木犀はその横、というかメインストリームに逆行するような花である。
教室の真ん中にいる、明るいリーダーが桜なら、金木犀は教室の端っこで本を読んでいる。そうした安定感というか親近感が金木犀には、ある。ずいぶんと自分勝手な解釈だけど。
金木犀といえば、フジファブリックの赤黄色の金木犀だろう。なんというか、明るいけれど、切ない。冬に向かう、言い換えれば喪失に向かっていくような明るさがあるから、「胸が騒いでしまう」のであろう。
KIRINJIの「恋の気配」に、「どこかで金木犀 香りが重いね」とある。
はっとした。金木犀の香りの重さを憂えているような歌詞である。恋の消滅を歌った曲だから。
金木犀の花は秋が深まることの象徴だから、どうしても喪失と結びついているんだろうな。桜のように若葉を生やすこともないので。
消滅を予期させるからこそ、惹かれるのだろうか。
逃げるものを追いかけたくなるような感情だろうか。
そうやって、今年も秋が深まっていく。
今年は逃げていくように時が過ぎていく。
消滅とか喪失とか。そんなものを彷彿させる季節でも、わたしは冬が好き。どちらかといえば追いかけているのかもしれない。冬に向かう流れに抗おうとは思わない。
また答えが出せないまま時が流れ、夏が冬になってしまいそうだ。ここはいったん、流れに身を任せておこう。金木犀が散っても、落胆しないように。