桜が咲いていた。
世界はいつの間にか春になっていたらしい。
部屋の空気はどこか冷たく、まだ冬の気配を保っていたのでニットにコーデュロイのスカートを合わせるという格好をしていたものの、それは季節に逆行していたのたと気付かされる。
花粉症で換気を渋っていたために、あのワンルームはまだ冬に取り残されていたのだ。
家に残る、あの孤独は季節から取り残されていたの点にあったのだろうか?
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日向に出ると、羽織ったスプリングコートすら煙たく感じるほどの陽気だった。
大学の並木道は家族や夫婦が散歩しており、芝生では子どもたちがサッカーをしていた。
本来ならば新入生で溢れかえっているはずの大学だが、市民の憩いの場としての顔を覗かせていた。
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桜が咲いている、との知らせを受け、今日は普段とは違うルートで買い出しに出かけた。
遠回りしたのは桜と新緑が見たかったから。
折角だから自転車は使わずに、徒歩で春の街を進んだ。
報道を一切目にしていなかったら、きっとこの春はいつもと変わらない春なのだろう。
交通量には大した違いが見られず、散歩する人が行き交っていた今日は、ただの春の1日だった。
桜が綺麗で空気も温んでいて、少し土の混ざった匂いがして。去年と何も変わらない。
大学に辿り着くと、桜が満開だった。
目の前を歩く2人組が
「こんなに春が春だったって気づかなかった」と
桜の前でカメラを構えながら感慨深く話していた。
いつもこの時期は新学期に備えてガイダンスやらで忙しかったり、新入生歓迎に勤しんだりと春を体感する暇はなかったのだろう。
私の場合もそうだ。何事もなく万事通常通りだったならば、季節の変わり目を感じる余裕もなく、桜にピントを合わせることなどせず、ただの背景に過ぎなかったのだろう。
カメラロールを見ると去年の桜の写真がほとんど残っていないことがその証拠である。
ネットやテレビで流れる情報が全くもって現実味を帯びておらず、これは夢なのではないか?と思う毎日で、心は全く落ち着かない。
そんな毎日だからこそ、変わらぬ日常を目にすると
非常に安堵するものだ。
スマホの示す現実はもちろん現実であるだろうし、
危機感を持って行動をしなくてはならないものの、
日常は続いているし、季節も変わった。
なんだか、悲観しすぎていた気がした。
もちろん、この状況下では買い物や散歩以外の目的で外出はしないし、会いたい人に会うのも我慢するのは当然である。
でも、ちゃんと手元には、変わらぬ日常があるし、
季節も止まらないということを確認することでちょっと救われた気がする。
スマホの電源をoffにしてひとり散歩に出かけて、全身で春を感じるのもこの自粛生活の醍醐味なのではないか?とプラスに捉えることが出来た1日だった。