Naegi

逍遥

何者、という問い

「就活控えた学生は見ない方がいいよ、鬱になるから」と言われたので却って気になり、「何者」という映画を観てしまった。就活という観点では、絶望するような話ではなかったので、後悔はしていない。

 

就活が軸となって展開される物語だが、実のところ物語の核は、自分と他者という大きな主題を取り扱った物語なのだ。

就活仲間、と称してお互いを鼓舞し合いながら、就活を乗り越えていく青春ドラマだと見せかけて、実際は泥沼のヒューマンドラマ。仲間内で、人気企業への内定者が出たとたん、歯車は狂い始める…という物語だ。

絵にかいたような意識高い系、「あえて就職を選ばないんだよね~」と鼻高々に宣言する者、当初はそれほど就活へのコミット度が高くなかったのに、いつの間にか順調に就活を進める者。身近に存在しそうな温度感で登場人物が動き出す。

 

別に絶望はしていない。けれども一種の気持ちの悪さを覚えた。

みんな、いい人ぶったり、自分を卑下したりしてうまく人間関係を進めているものの、内心嫉妬していたり、他人の欠点を見つけて自分を高めている。

そうなのよ、人は。人は醜い生き物なのだ…という乱雑な感想に陥りそうになるが、落ち着いてこのテーマとは向き合わなくてはならない。

 

この泥沼を見つめると、自分は何者か?と迷走する若者の心理が見えてくる。

自分のラベルを探して奔走する若者。周りを見渡せば、自分より優秀な人材がたくさん。結局、俺は誰なのか―――?という問いが聞こえてくるようだった。

就職活動では、自分の人となりをはじめとして何者かであるかを事細かに説明する必要がある。だからこそ、ここでありのままの、悪く言えばむき出しの人間の心理が描かれているのだと思う。

 

朝井リョウ、上手いわ。就活という文脈で、自分を問い詰める話を描くとは…。

決して心穏やかな状態では観られなかった映画だが、アイデンティティの確立が出来ずに迷っている全人類(クソデカ表現)にオススメしたい。

 

話は少し逸れるけど、他者を通して自分像を見出すのだ、っていう話があるでしょ。

こんな状態だと、他者と関わる機会も非常に限られているために、独善的な自分像を組み立ててしまわないか、不安ではあるよね…。

既に3か月前までに思っていた自分像と、今の自分は一致しないだろうし、3月までに携わってきた活動のあれこれは今や忘却の淵にある。

 

正直な話、私は別に完全オフライン授業の実施を望んでいるわけではないけど大学生にも日常をください、って思うのよ。

ニュースで連呼される「少しずつ、新たな日常が始まっていきます―――」というフレーズ。新たな日常って何?大学の課題に追われて、パソコンに向かうのが新たな日常なんですか?サークルも(まあ私の場合関係ないのだけど)できず、大学の友達にも会う機会が限られていて、一人狭い部屋に閉じこもっているのを「日常」と呼ぶのは躊躇われる。これは私の大学に限ったことではないのだけど、多くの大学ではかなり慎重な姿勢を見せている。

大学生に課外活動なんてやらせたらまたクラスター発生するでしょ、そんな思惑があることは分かる。悲しいことに、否定はできない。

でも、世間がいつも通り生活へとシフトしているなかで大学生だけが取り残されている気がしてならないんだよね。立場が弱いな~大学生って。

 

個人的な見解なのに、大学生という大きな主語で語ってしまったのは申し訳ないが、このような感情を抱いているのは私だけではないはず。後期も前期と同様の措置が取られたら、本当に悲しいな。もっと前向きに動いてもらってもいいんじゃないかな。さすがにこの1年を孤独とともに過ごすのはあまりにも悲しいことだよね。

 

何者を観たら「大学生らしい生活がしたいな~~」なんて思ってしまった。大学生なのにね、、仕方ない部分はあるのだけど。