Naegi

逍遥

眠るの楽しすぎ

趣味は寝ることです!と言う人がいる。

私はにわかに信じられなかった。

というのも、私は生まれつき寝つきが悪く、どんなに疲れてもすぐには眠れないからだ。

動き回っているほうが楽しいじゃないの?

そんな考えだったから、私はヨガとか瞑想とかその類にハマらなかった。

 

ところが、最近になってから、眠ることの楽しさを覚えてしまった。瞼を閉じると、広がる夢の世界。

いつのまにか眠りに落ちている、あの感覚がたまらなく好きになってしまった。 

 

思い返せば、高校生からずっと今まで、休日というものを全然設けてこなかった。

高校生の時は、土日は勉強する時間だったし、大学入ってもサークルの行事に参加したり、課題をこなしたりするのが土日だった。もちろん、友人と遊ぶことも多かったのだが、家でゆっくりする、という感覚がまるでなかった。

だから、コロナ禍が始まった時、私は非常に戸惑った。時間はたくさんある。でも、外には行けない。そして眠れない。自由って難しい。なんらかの制約があったほうが、いいのではないか。そう思ってしまう私も立派に、自由から逃走していたのであるー

話は逸れるが、フロムの『自由からの逃走』は未読である…いまは『悪について』を読み進めている。『愛するということ』は読み終わったのだが。最近はやたらと、『愛するということ』ばかりが取り上げられるので、それ以外の著作もちゃんと読みたいところ。

 

読書もそう。数年来、本を積み上げていたのは、そうした隙間の時間を完全に否定していたからである。とりあえずタスクを終わらせよう。そんな気持ちでいると、文章も頭に入らない。

 

やはり、日常に余白は必要なのである。

 

とある就活サイトを読んでいたら、「定時に帰ったとして、何をするの?」という問いが提示されていた。え、読書、アニメor映画鑑賞…いろいろあるのに!?!?と目を疑ってしまった。そういう時、インドア人間は強い。自由が与えられたところで、何をするのかは難しい。そんな悩みを解決してくれたのが学問である。

 

私の恩師は言う。「まさか、楽しいことが降ってくるなんて思ってないですよね?楽しいことは自分で見出すんですよ」と。受身な姿勢でコンテンツを消費してきた私たちに警鐘を鳴らす。自由とはー一つの形態ではあるがー自ら創造する過程のなかで生まれるものなのではないかと思う。与えられた余白を、どう活かすか。それは我々に委ねられている。

そういう意味で、面白いものを自分で探し出して、人にその面白さを伝える教育はよかったのかもしれない。きっと、私は今後、この余白に困ることはないと思う。直接、何かに役に立つわけでないけれど、人生を豊かにする方法を教えてもらった。ありがとう、某ゼミ。(現在も所属しているが…)

今日は12時間寝た。

新学期で疲労が溜まっていたのだろう。

でも、この余白が心地よい。

研究は全然進んでないし、タスクは山積みだけど、日常は豊かだ。夢で指導教員に辛口のコメントをいただのは忘れておこう。いまは。