『逃げるは恥だが役に立つ』をビンジウォッチングして、日曜が終わる。今週が連休でよかった。
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逃げ恥は女性がケア労働を経て、「自分ひとりの部屋」を獲得する物語である。すでに、小川公代さんが亜紀書房のウェブマガジン「あき地」において、ケアの倫理やフェミニズムの文脈から論じているので、その辺は当該記事を参照されたい。
https://www.akishobo.com/akichi/ogawa/v2#a
最終話付近、風呂場で仕事するみくりを見て、ウルフの『自分ひとりの部屋』を想起してしまった。自立するにはひとりの部屋は必要なのだ!
ドラマにおいては、手放しに称揚できない演出も散見されたが、それでもあの時代に逃げ恥のようなドラマが展開されたことには一定の意義があるのではないかと感じた。
…個人的には、主人公の修士号持ちと言う設定ばかりが気になってしまった!!
文系院生が就活難だっていう歪んだイメージを植え付けたのは、この物語の功罪の「罪」のは分ではないか…とちょっと思う。
それでも、最終的に救いがある物語でよかった。
「小賢しい」女。相手を見下したことを前提に出てくる言葉である。小賢しいって形容詞!これが取り払われるだけでも大きな救いである。
そうした呪い、そろそろ解き放ちませんか?
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百合ちゃんの、「独身だけど楽しい!」と無理をしている様子が一番辛かったな。
そうした文言って「独身だけど」「子どもいないけど」といった論理構造をとり、自ずと幸せのステレオタイプを反復している。
私が見たいのは、そうしたステレオタイプを前景化せず、自由に人生を謳歌する人なんだよ!
とか思うけど、人間は開かれた存在だし、ステレオタイプを無意識のうちに土台に据えて思考を展開させてしまう。
私も、「〇〇だけど、楽しい!」なんて言葉を言う人になってしまうのか。というか、今も言っているかもしれない。無意識のうちに。
制限つきの楽しさじゃなくて、誰が何を言おうと楽しい!知るか!みたいなマインドが欲しいところ。
今日も、よい休日だった。
明日は祝日。祝祭、祝日といったように「祝」がついた言葉が好きだ。
明日はスポーツの日らしいけど、私は私を祝うために祝日を過ごす。読んで、書く。私の天職かもしれない!能力的な意味、というより、心の底から楽しめると言う意味で。
深夜にものを書く。この時間がたまらなく好きだ。
だから、絶対に「自分ひとりの部屋」は必要なんだって!