私が希求する幸せって、本当に私が望んでいるものなのだろうか、と自問自答している。
世の中には、パッケージ化された幸せがある。
それを求めるのって、同調圧力に起因するのか。
いや、同調圧力ではないけれど、とりあえず幸せの定石というものがあって、これさえクリアしておけば幸せななのか。思考は堂々巡り。
そんなことを考え、椎名林檎の『人生は夢だらけ』を流す。人生の岐路に差し掛かった時、いつもこの曲に助けられてきた。受験の時、失恋した時、就活で悶々としたとき。
「奪われれるものか!私は自由!この人生は夢だらけ!」と歌詞の一節を口ずさみ、両手を伸ばす。
そんな時、it's my life !というフレーズが頭をよぎり、脳内になかやまきんに君が…。ヤーーーー。
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とか言いつつも、最近は煩悩が減っていくのを肌で感じている。
研究が楽しくて時間を忘れるとか、好きなエッセイに没頭したりとか、そんな時間が愛おしい。
孤独を自由に換言できるようになったのかもしれない。どんなこともトレードオフで、所属や関係性の薄さは、自由を示唆するのだ。
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なりたい姿、とか言うじゃん?
なりたい姿みたいなものを明確に示しても、理想論だなぁと思う。
でも、私は書くこと / 読むこと が好きだから、これからも知的生産はつづけていきたい。
社会人になっても研究は続けたいし、エッセイも描き続けたい。
最近はそんなことが軸となっているので、人生がぱっと明るくひらけた感じがする。
数年前まで、同期の優れた点を追っては絶望していたが、私は自分のフィールドを見つけた。これさえあれば、踏ん張れる。そんな世界を心に秘めていれば、どうにかなる気がしてきた。
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高校生の時のブログを読む。
よく私はここまで来れたなぁと達観する。
あの頃は同級生とうまくいかず、どこにいっても嫌われる存在だなぁ、と書いていた。
自己肯定感がないから、勉強に専念できたのかもしれない。
あの頃に比べれば、自分のフィールドを見つけられているから精神的な安寧は保てている。
健やかな人間関係も築けている。
過去の私に言いたい。
どうにかなるよ、って。
クラスメイトは世界を意味するわけではないよ、と。
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記録を残すこと。
これは大切かもしれない。
私の思考の軌跡を追う。
私の人生だから、ね。