Naegi

逍遥

遠き山に日は落ちる

夏が終わった今日この頃、フジファブリック若者のすべてが身に染みる。

 

たしか音楽の教科書に採用されたんだよね。

わかる、もはやクラシックの一つだもん。

 

若者のすべてにも登場する夕刻のチャイム。

これを聴くたびに、切なくなれる感受性を持てて良かったなぁと思う

 

反面、めんどくさい心を持って大変だなぁと他人事のように思う

 

9月の朝晩の涼しさを感じる度に、楽しかった大学1年の夏を思い出しておセンチになってしまうのやめてぇ〜て思っても今は無理。

 

なんだかしらないけど、大きな孤独を感じるんだよな

頼れる友達もいるのに、なんでだろう

 

大学4年で学んだことのひとつは、寂しさは自分でしか埋めることが出来ない、ってこと。

 

こうやって夜、薄明かりの中で読書して、文章を書いて、音楽を聴く時間になれば無敵、

寂しさから開放されるから。

 

でも、朝起きてテレビをつけて、家族や友情、恋愛を物語るドラマや映画をみる度に自分の孤独に気づく。

 

「誰とも会う予定も話す予定もない!」

そんな日々が続けば、みじめになってくるのも仕方ないか〜

 

とりあえず、LINEとかいろいろなツールを駆使して、他人との接続を試みるけど、寂しさを増長させて終わる。

SNSは孤独を膨らませる装置なんだよな

 

だから、もう孤独であることを認めて、

外界との接続を忘れて本を読み進める時間が幸せでたまらない。

 

今もなお、孤独感と折り合いをつけるのに悩んでるけど、上手くいっていると思う

 

かつて、寂しさを人で埋めようとした結果、制御できない忙しさに潰されてしまったから。

 

とかね、強がっちゃうけど、夕刻のチャイムを聞くとダメだよね〜

 

自分の故郷から遠く離れた街に響くチャイムって寂しいのよ

 

夕暮れときの街に、私の旧友も、家族も、親類もいない。楽っちゃ楽だけど、根無し草であることを思い出させるんだよな

 

私はここにいるけど、根はここにはない、という感覚。

 

目の前を過ぎる家族が羨ましくなる時もある。

誰にも繋がれていない自由と孤独。

両者は表裏一体なんだと思う

 

とりあえず、今はじっと孤独と向き合うことにしようか