駅前に行くと必ずシルバー人材センターから派遣された高齢の方がせかせかと違法駐輪の自転車を撤去している姿を見る。蛍光色のビブスを着て、「はい、ここは駐輪禁止です!」と呼びかけることもある。
「私たち、シルバー人材センターから来ました」とのプレートを掲げて児童の下校時のパトロールをしていた2人組のおじいさんを見かけたこともあった。
スーパーマーケットでも「シルバー人材センターから来た」おじいさんを見かけた。
またもや蛍光色のビブス着て、カートを運んでいた。
かつて私はこの人たちは生きがいを得るためだけに退職後も仕事をしているのだと思っていた。
映画「マイ・インターン」の影響でそう見えてしまうのだろう。
ロバート・デ・ニーロ演じる男性は、妻を亡くして新たな人との繋がりが欲しくてインターンに志願したんだっけ。
生き生きと自転車回収してるな〜とか、楽しそうにパトロールしてるなぁとか余計な修飾語を付けて、彼らの様子を描写してしまうのだ。
しかし、実際は必ずしも生きがいのために働いているのではないのだろう。
なんというか、生き生きと働く高齢者像というステレオタイプが定着してるせいなんだろうな、老後の厳しさとかそういうものをいっさい除外して考えてしまうきらいは、ある。
ただ、私のアルバイト観と、シルバー人材センターで働くひとの動機は似ているかもしれない。
まず、お金が欲しい。
私は、進学したいので余計にそう思ってしまう。
別に高価なコスメやブランドバッグが欲しいわけではないのだけど、生きるためには必要。
高齢者の年金生活もなかなか大変そうだし、老後の蓄えという言葉は歳を重ねるにつれて重みを増すものなのだろう、やっぱりお金は必要だ。
そして人と関わりたい。
こう見えて私も孤独耐性は大して強くはないので、ある程度は人と関わりつつ生きていきたい。
コロナ禍で繋がりが一気に薄くなったので、孤独なのだ。だから、働きたい。
高齢者も、パートナーを亡くしたり、子どもが遠くで暮らしていたり……と所属コミュニティの繋がりが薄いと孤独になる。いや孤独は社会問題よ。
というか私の感じる程度の孤独と比較してはならないくらい、孤独かもしれない。
この2つのどちらが強いのかは人によるけど、これらの動機のおかげで、気が乗らない業務でもなんとか乗り越えられるのではないか。
日によってこの2つの程度は変わりゆくのだけれど。
仕事なんてしたくないと戯言を言うこともあるのだが、その実、良い仕事や仕事仲間は人生を鮮やかにしてくれるのは確かだ。
アルバイト先で知り合った友人と深い話をしたり、アルバイト先で失敗したあとに友だちと食べる食事がより一層感じられたり、と仕事の外での奥行が増すのだ。
シルバー人材センターの人びとがどのようなコミュニティを築いているのかは知らないが、おそらくこの業務の「外」も大切にしてる方が多いのではないか。
そう思うと、シルバー人材センターから来たことを告げる蛍光色は彼らの誇りのようにもみえる。