Naegi

逍遥

知らないことはない

幼い頃、「たまごっち」が好きで攻略本を隅から隅まで読み尽くしていた。音読して内容を暗記していた(ここにオタク気質の片鱗が見える)

 

今でも覚えていることは「辞典亀先生」の項目である。

「物事を知り尽くしたせいで、背中の甲羅が辞典担ってしまった。知らないことはない」という旨が書かれていたと思う。

 

「知らないことがないということは、私がこっそり押し入れの中でDSをしていることを知っているのか」と恐れおののいたものである。

 

当時の私は「全てを知っている=全てお見通し」と勘違いしていたのだが、もちろんそんなはずはない。

 

全知全能のものに対する、えも言われぬ畏怖というものはあったと思われる。だから私は辞典亀先生がすこし怖かった。

 

話は全く変わるが、ジョージ・オーウェル1984を読み、「全知」の恐ろしさを覚えた。

思考も行動も全て監視下にある党員。監視の目を潜れていると思いきや、そんなことはなく。読了後に絶望が残った作品だった。

 

もちろんこれは架空の話だが、妙な現実味を帯びていて恐ろしい。

 

Spotifyには音楽の趣向が把握され、好みのプレイリストが毎日作成されている。Amazonにはオススメの商品が表示され、つい購入してしまう。

 

そしてその同じ次元で、犯罪予備軍の監視が行われている。

アルゴリズムによって導き出された予測、性格、所属するコミュニティなどなど。それが人生を左右する世界に突入している。

 

得体の知らぬものに「自分」が開示されていることはそら恐ろしさを感じてしまう。

 

だからなのか、スマホやノートパソコンのスイッチを切って一日を過ごしたくなる衝動にも駆られることもある(まぁ、難しいのだけど)

 

知らないことはないと宣言する辞典亀先生が現れる日も近いのかもしれないなぁ。

世の中知らないことだらけ、ぐらいの感じでいたいなと思う。

 

大学の図書館に行って関連書籍を探す時、

「知らないことが世の中にたくさんあるんだな〜」と実感する。

知らなくてもなんとか生きていける。でも、知っていればもっと楽しい。あらゆることに対する見方が変わる。そんなことを知るのが大学での学びの醍醐味だな〜とか思う。

知らないを知るのは本当に楽しいと思う

 

実用性がない云々で非実学を否定する人たちには分からない感覚だろうけど、まぁ仕方がないね

 

知らないことを自覚しつつ、知っていくのが楽しい。

勉強のみならず、人づきあいにおいても。

場合によっては自分に関することも、かもしれない。

 

(いわゆる自己分析、を友人としてみると気づかなかった自分の側面もあった。)

 

この感覚で、ずっと、これからの人生を過ごしていきたい。