Naegi

逍遥

チューニング

マジで文章が書けないんですけどぉ〜他責思考がまあまあひどくなっている。が、心を保つためには、原因を外に求めることも必要だ。追い込んでしまう性格を自己分析した上の、結論である。

 

ぶっちゃけ事務のお仕事なんで属人化したら終わるんですよね。replaceable なことって希望なのよね。誰がやっても同じ結果になるための努力も大事なのだ。就活生の時は社会の歯車になるなんで!と憤慨することもあったが、いかに潤滑な歯車たりうるための問いを投げ続けるのも大事なのだ。交換可能な歯車といえば聞こえは悪い。が、希望なのだ。逆に交換不可能な歯車だったらどうなるのか?摩耗しても取り替えられない、終わりなき旅をする。

 

…思考を労働に絡め取られないように努力していたつもりだったが、いかんせんリソースが持ってかれるので、無理だ。生活の大半を投げ打っている先に思いを馳せない方は難しい。本当に鍛錬が必要である。

 

書きたいことは書けないし、すぐに書きたくなることは本当に書きたいことではないし、もっともっと高い視座で物事を捉えたい。日常にある幻想を追っていたい。日が傾いた頃の公園を毎日遊歩したいし、一番星の横で輝く月を眺めたい。そんな瞬間が少しでもあれば、わたしは異世界に飛び出せるのに。帰宅時に窓の外に広がる景色を見て、全く違う世界を夢想する。これがフィクションを描きたくなる衝動なのだろう。そして、これがわたしを単なる歯車じゃなくするための、儀式である。別に何者かになりたいわけではなく、わたしが生み出すことで見える景色を広げたいのだ。

 

中学の下校時、夕暮れ時のメタセコイアの並木を見て、別の世界にいる少女を思い浮かべたように、わたしは世界線を意図的にずらす必要がある。そうした修行が「路」なのである。