私の友人にはタフな人間が多い。ここでのタフは、肉体的なタフネスではなく、問題を跳ね除ける力のある人たちである。どちらかといえば、レジリエンスの強さと表現すればよいのか。
問題が起きた時に発想の転換ができる強さを持っている。真正面から受け止めていたら、こちらが壊れてしまうと言って、軽々と跳ね返す。その強さを私の友人たちは教えてくれたのだ。
ステレオタイプから逸脱している、というより逸脱を目指しているのかもしれない。期待される役割をやんわり拒む。迎合しているように見せかけて、密やかに抵抗している。言語の使用から強さが滲み出ていて、とても好き。気が強いという形容詞を跳ね除けるような逞しさがある。優しくて強く、聡い友人たちにいくら元気をもらったことか。
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愛によって結ばれる関係性は良い、愛っていいね!疲弊しながら通勤しながら、友人たちから注いでもらった愛を思い出す。学生時代に心の底を伝えたこと。否定も肯定もせず、ありのままを受け止めてくれたこと。愛の形はいろいろあるが、本当に花束みたいだなと思う。カネコアヤノさんの、「とがる」で言われているように。引用が続くが、一生枯れないやつ、である。
花束みたいな恋をしたの話ばかりしていて、そろそろ食傷気味だが、花束は刹那的なものの比喩である。だが、愛はブーケのように束ねられて、どっと蓄積される。そして枯れない。疲れた時に思い出す友人の言葉に、私は救われている。
愛による紐帯ってなかなか難しくないですか、と改めて思う。目の前の相手が必ずしも好意的であるとは限らないし、往々にして境界線を超えることが難しい。そして、境界線を越える必要性もない。当たり障りのない言葉の行き交いをつねに受け止めている。
綺麗事の範疇から飛び出たところに愛はあると思う。当たり障りのない言葉、耳馴染みの良い言葉に愛を表出させるのは難しいし、お前を思って…の厳しさに愛を行き交わせるのも難しい。
強くてしなやかで優しい友人たちは本当に愛を分け与えるのが上手い。決して一方通行ではないのだ。彼女/彼らに愛について教えてもらって、私はいろんな愛の形を見出している。