いわゆる「22卒」という肩書で就活することを保留した。恐らく、やめると思う。
ナビサイトを退会し、日々送られてくる怒涛のメールと別れを告げた。
これからどうしよう笑
あ~、人の目が怖い、というのが正直なところではある。
というのも、以前「私は4年で卒業した後にも大学でやりたいことはあるんです。」という話をとある人に打ち明けたところ、「文系は学部就職じゃないとキツいよ、しかも学費はどうするの?笑 しかも、教職とってないんでしょ。」と一蹴されたことがあったから。
あ~~確かにね、と以前の自分は納得していた。実際、そのような風潮は存在しているのは確かだ。世知辛い世の中だ。
とはいえ、それなりに覚悟はできたので、就活を辞めることにしたのだ。
どうせ2年後は就活するので、就職はいずれ通る道だとは思う。
就職することに対して否定的になったわけではない。
やりたいことを見つけてしまったので、もう2年待ってください!と告げる形になっただけだ。
以前、わたしが考えていた進路は、以下のようなプランだ。
「私が育ったのは工業都市だから、幼い頃から工業について知る機会が多かったな。だから私は、ものづくりに関わる仕事がしたい!よっしゃ!メーカーに就職しよう!メーカーだったらグローバルに働けるし!」
という考え。
だから、志望動機にも「モノづくりに関わりたい」という旨を書いていた。
安直な動機だったが、メーカーのインターン選考には複数通った。
インターンに参加するればするほど自信もついたし、メーカー就職への道は確固たる私の進路だと思っていた。
しかし、「なぜ私はメーカーに就職したいのか」という理由を考えれば考えるほど、企業に合わせた就活軸を持っているのではないか?と思うようになった。
正直なところ、メーカーに惹かれた理由は私の安定志向にあると思う。
それなりにホワイトで、それなりに年収が高くて、それなりの幸せを享受できるような生活。安定したメーカーに就職することではないか、という情けないほど安直な理由が根底にあったのだ。
恐らく、メーカー側も、こんなふざけた就活生に内定なんて出さないだろう、と思った。だいいち、私が利潤のために数字を追いかけて、全国転勤するなんて似合わないなと思った。
「私は推しを語るの好きだし、大好きな自社製品の営業向いてるんじゃね?ゎら」
みたいな幼稚な目線でキャリアを設計していたのだが、いわゆる「営業体験ワーク」なるものを体験したら、「向いてねえわ、むり・・・・」となった。
無理…となった理由は、絶望的に数字の勘が無いからだ。
わしには商売は向いていないんじゃあ~~~、、、
数字勘のないひとがメーカーで営業をやる苦悩が綴られた宮下奈都のエッセイを読み、「あ、このままだと私、こうなってしまうな」と危機感を抱いた。
その後、確信したのは就活支援をしてくれる先輩に「あなたは、メーカーで何がやりたいの?」と訊かれたときに言葉が詰まってしまったことだ。
「せ、生産管理?人事?営業?らへんができれば…いいかなと思います」
とたどたどしく答えてしまったが、疑念は確信に変わった。
メーカーは、本選考受けんとこ、、ということだ。
わたしの就活は白紙になった。
何がやりたいの?何をするときにやりがいを感じるの?と問い詰めた。
やりたいことは、私と同じように「生きにくさ」を感じている人を支えたいということ。一番楽しいのは、文章を書いているとき、自分の考えを発信するときだ、と思った。
一瞬、脳裏に受かんだのがメディアなどの仕事だ。
しかし、私は組織の中での「物書き」になろうとは思っていない。
(実際、そこで活躍されている方もいるので、理由は控えるが)
あ~~~~どうしよ。
うわああああああ。
将来的にはフリーランスの物書きになりたいです。本出したらみんな買ってね☆
(新卒でなる!っていうわけではないです、将来の話。)
そのために、まだ大学に残って考えたいこと・学びたいことがたくさんある。残るわ!ってことです。
私の専攻内容は実用的なものではないので、直接的に仕事に活かす!ということはできないけど、ちょっと俯瞰的に人生・社会をみたときに、必要だなあと思うことなので、学ぶ意義は多いにある。
しかも、最近やっと研究したい分野が分かってきた、ということで研究のモチベもなんとなく上がった。
というわけで、解像度の低い未来は思い描けた、という話。
まだ葛藤し続けているけど、後悔はしたくないので、選択には慎重でありたいと思う。
どっちが正解ということはないけど、自分に対して嘘はつきたくない。
世間様からの批判は見ざる聞かざる!スタンスで。