今年の桜はこの地で見る3度目の桜となる。
まだ見ぬ桜は来月に向けて蕾を膨らませている。
桜を待ちわびる期間はいつも長い。
あれからもう〇年か〜という一種の懐古の念は、特に最近感じる。
というのも大学生活も折り返しに差し掛かり、
そろそろ高校生だった自分から脱却し、ますます大人に近づいている今日この頃(法律上では既に大人であるが、去年と比べて明確に大人になった感はない、まだ学部2年だし。)
1年の頃はカラオケオールやら何やらを平気に行っていたが、今の自分には到底できない気がする。
20歳の1年間は忙しく体を壊すことも多々あり、自身の限界をする1年となった。
コロナ禍に見舞われている今、尚更オールナイトで何かを出来る気は全くないし、無理のない生活を推奨されているのだろうし、まぁ、いわゆる若気の至りとされる行為とは暫くはご無沙汰なんだろうなぁと達観する。
暫くは、落ち着いて暮らそう。
Twitterを開けば、トレンドにはコロナ関連のニュース。〇県で新たに感染者確認、と報じられる。
そんなことよりも、どうすれば感染を防げるのか、何処が危険なのか、こちらの行動に影響を与えるような情報が多ければいいのに、不安を煽るような
情報で溢れかえっている現在、常にネットを接続するのは精神衛生上良くないと思い、Twitterのアプリをアンインストールした。(ブラウザから覗いてしまうが、何となくアプリを開いてしまう、というアレを防げる)
もちろん、こんな状況下では正しい情報を集めにいく姿勢は大切ではあるが、オフライン状態を作らねば緊張状態から解放されない、
事実、電源を入れなければなんてことない日常なのだ。但し、スーパーの品薄には目を逸らすこと。
この春休み、勉強してライブ行って、いろいろやって……と思っていたものの、達成出来ているのは勉強のみ。予想よりもコロナの影響は大きく、ライブを自粛するまでとなった。
いかに今までが幸せだったのか、痛感する結果となった。
野外フェスが増える春以降はなんとか、人ごみを避けつつ現場で音楽に揺られたい。
その日まで、家で音楽をディグったり、ライブ映像を見たりしてなんとか音楽を生活に入れたいと思う。
音楽で生計を立てている人への打撃はこちらの想像を超えるほど深刻なものだろうが、こんな毎日だからこそ音楽を届けたいとアーティストは発信を続けている。
そんなアーティストのメッセージを見ると、やはり音楽は単なる娯楽ではなく、言葉以上の発信源なのだ思う。
もうどうしようもなく鬱々とした日は、音楽を聴く。
それでもどうしようもない時は歌う、踊る。
発散する。
最近はひたすらラップを……練習している。
(暇か?暇です。コロナで予定が減ったのだ。帰省もしない。)
ラップは奥深い。
同じリリックでもリズムの乗せ方、抑揚でも全然伝わり方が違う。
これがフローってやつか!
マシンガンのように言葉を展開させられるラッパーには感服する。
最近はどうすれば韻が踏めるのか言葉を探している。暇の力も偉大、こんな厄介なことは始めなかった。
いや〜ジョイマン凄いわ〜今更ながら、
ありがとうオリゴ糖とか!
コロナが収束したら、カラオケ行ってラップをキメるんだ〜()
はい、まあこんなどうでも良い事はさておき。
やっと留学が決まったものの、こんな時代なので
決めかねている。
この一大チャンスを逃したくない一方でコロナが収束する気配が全くないので、のっぴきならない状態にあるのだ。
まずは親を説得させることから始めたいのだがそれが難しい。自分が親の立場でも反対するだろうなとは思いつつ、まずは親の承諾を得る必要がある。
毎日毎日辛いニュースばかりなのでたまには嬉しいニュースでも、と思うもののなかなか上手くいかないね。苦労した英語の資格もとったのに留学行かなくしては努力も水の泡である。
お願いだから留学行かせて…コロナよ、9月には大人しくなっていてください…と祈る毎日。
これは電車でお腹が痛くなった時に神様に祈るような気持ちのような、弱くて強い祈りなのだ。
飛ばせて下さい……と目配せ。
留学行くならば、卒業は1年遅らせる事になる。
来年の桜を見るのか、それとも見ずに再来年に持ち越すのか。
今は分からないが、来年の今頃は海外にいるのだろうと信じるしかない。
4度目に見る桜は果たしていつ咲くのだろうか……
これはまだ分からない。
2年前、地元で撮った桜。
あれから2年。毎日は目まぐるしく変わる。
春休み、できれば毎日更新したい(今更)
読んだ本の感想とかも書ければなぁ