Naegi

逍遥

脳内反省会

複数人と出かけた時、あるいは飲み会で複数人とコミュニケーションをとった時、必ず私は反省会を開く。

 

あの言動、よくなかったなぁ、

もっとああすればよかった。

 

そんな感じの思考が渦を巻く。私はたぶん、気にしすぎる性格で、いわゆるHighly sensitive personである。(HSPという言葉の商業的な響きが好きではなく、本当のことを言えば、この言葉を使いたくない)

 

ソーシャルな場は嫌いではないが、帰宅後のしんどさを加味すると遠慮してしまう時がある。

 

ひどい時には、疲れているのに夜も眠れず、ひたすら言動を反省する。瞑想の動画を流すも、雑念を捨てきれないまま。ゴリラ→たくあん→洗濯機というように、認知シャッフル睡眠法を試すも、難しい。

という場合は、時が流れるのを待つ。

中学生くらいの頃から、こうなのである。

もう慣れた。でもしんどい。

 

 

部屋が荒れているのに気づく。

自分の内面ばかりに目を向けていると、住環境の荒みに気づかないのが世の常である。

 

面倒がって、地べたにものを置いていたら、足の踏み場がない。

 

たぶん、私の心と部屋の状態はリンクしている。

 

梨木香歩のエッセイで、そんな感じの言及があった。自分の住空間を愛することは、自分を愛することにも繋がる、と。今の私に響く言葉である。

 

部屋を片付けよう。思考も。

 

 

「〇〇ちゃんが一人暮らし?アッハッハ〜」

大学一年生の頃。

 

祖母に近況を伝えると、こちらの予想以上に笑っていた。

一人暮らしできなさそうな私が、一人暮らしをしている。その事実がたまらなく面白いらしい。

祖母は思ったよりも笑い上戸なんだなぁと気づいた。

 

あれから4年。

祖父母の写真が送られてくる。

あの頃よりも皺は深くなり、体躯もひとまわり小さくなった。

4年という月日はここまで人を変貌させてしまうのか。

流れ去る時が恐ろしくなった。

 

 

この4年、一番向き合った問題は、孤独に関する問題かもしれない。

 

特に、パンデミック以後は。

 

いくら人と関わっても、孤独は消えないのだと最近気づいた。

 

去年は、大学院入学に向けて、孤独の解決策についていろいろ考えていた。

 

大学院生は孤独っていうし、ましてや文系院生なんて独りぼっちになるでしょう、と。

 

いろいろ考えたけれど、その心配は杞憂に終わった。周囲には恵まれ、ソーシャルな場も増えた。

 

それでも、ずっと向き合っていた孤独の問題は消え

 

ないままである。

 

ここで、私がいま、自分に言い聞かせるように聴いている曲の歌詞を引用しよう。カリ・ウチスのAfter the stormである。

 

" so if you need a hero, just look in the mirror 

No one's gonna save you now  So you better save yourself "

(拙訳→ヒーローを望むなら、ただ鏡を見つめればいい。助けてくれる人は誰もいない。自分のことは自分で守ればいい。)

 

あー。これこれ。

 

自分を助けるのは、結局自分なんだよね。

誰かが誰かを助ける型が物語の定石となっているけれど、結局自分を救えるのは自分だけ。

 

最近の児童向けアニメで、やたらと自立が促されているのも、この型からの脱却を示唆するのではないか。

今の時代、ヒーローなんていない。自分がヒーロー。

 

まぁ、今の時代に限った話ではないかもしれない。

 

孤独に打ち克てるのも、また自分しかいない。

そう言い聞かせて、今日から研究を再開させよう。