毎日夢の記録を残したい。
最近はなかなかクリアな夢を見るからである。
昨日は神社の中の幣を見る夢だった。
最近は神社の夢ばかり見る。
何か救いを求めているのだろうか。
私は今の生活に満足していて特段祈ることはない。
強いていうならば、この豊かさがつづきますように、という祈りだろうか。
夢の中の私は、祈っていた。
祈るなんて。
最近は雑念ばかりで真摯に祈ることなんて、できなかった。
私は祈りたい。たぶん、その気持ちが夢の中に現れたのだと思う。即物的な気持ちに動かされるのではなく、真摯に祈り続ける。そんな営為を生活の中に取り込めたのなら、どんなに生活が豊かになるのだろう。
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今後の活躍を祈念します、なんてうわべだけの言葉なんていらない。
祈らないなら、祈らないでくれ。
言葉には力があるのだから。
好きな作家のエッセイ(梨木香歩)に、
それほど親しくない友人に対して「親友」ということは言葉に対する冒涜だ、という旨を述べていた気がする。(引用するのはまた今度)
はっとする。
私はリップサービスがうまいとか、褒め上手とかそういう言葉をいただく。
褒め言葉が嘘でないにしろ、時に誇張して言葉を選んでしまう時がある。
ある種、言葉を生業として、研究しているのに。
なぜそんなことばかりいうのだろうか。
口先だけの、愚かな人間を演じる必要はないのに、演じてしまう。
ちょっとアホなキャラを演じることは生きる術であり、それが染み付いていて取れない。
どれが本当の私なのかわからない。
今日も鏡に向かって問いかけるが、答えは出てこない。
祈る。
きっといつか、私が本当に、好きな私になるますように。
今日も祈りをこめながら、就寝することだろう。