Naegi

逍遥

インスタントに記録を残せるようになった。

感動した光景をカメラで記録することは容易だ。

しかし、記憶という点ではどうだろう。記録と記憶はまるで違うものだ。記憶するために記録したはずが、いつまで経っても外付けのメモリであることは往々にして起こりうるものである。

 

記録したいという欲にはじめて駆られたのは小4の5月だった。小学校からは、麦畑が一望できた。田舎だったから。毎朝、ベートーベンの「田園」が放送されるような小学校だった。その音楽は麦畑にこだましていて、校舎はどこか神聖な雰囲気をまとっていた。

 

放課後、わたしは校舎から麦畑を眺望していた。ちょうど風が吹いていた。風になびき、麦畑に波ができていた。

 

これは…海?眼下には緑の水面が広がっていた。

気づけば、あるはずのない馬や想起していた。

この緑の海に駆ける馬を見たのだ。

 

「〇〇さん、何してるの?」

担任の先生が怪訝そうに話しかける。

確かに、周りを見渡しても窓から麦の海を眺める者は誰もいなかった。奇妙だ。何か嫌なことでもあったのかもしれない。今にも窓から飛び降りそうでも思ったのだろうか。…その頃、わたしは学校に馴染めず、毎日鬱々とした記録をノートに残していたので、心配してしまうのもおかしな話ではない。

 

「いや、なんでもないです」

麦の海が見えた、とか馬が見えた、とかそんなことを話したら余計に心配になるだろう。わたしは隠し通した。そして、わたしはわたしの世界を簡単に譲り渡すほどの度量の広さがあるわけでもなかった。

 

あの時の光景と気持ちは、今でも忘れられない。デジタルカメラで2009-05-xという記録を残したところで、今のわたしの心象に響くものではない。記憶は、デジタルな何かに置換されないものだ。

 

感動をデジタルなものに譲り渡しすぎたのかもしれない。かつての気概はどこへ。いまやわたしはやすやすと感動を表現し、共有している。自分を安売りするな!と父親に言われた。もしかしたら、オープンすぎる気質は損してしまうのだろう。もうすこし、自分の感動とか世界とかに対して、硬派な表現を心がけたい。

 

内陸の地方都市と、水面を重ね合わせるインスタレーションを見つけ出した。かつて私が麦畑に見たものと近かった。こうした表現に憧れてしまう。ふだん、わたしがソーシャルメディアでかんたんに共有しているものとは一線を画している。とにかく硬派だ。

 

手軽なプラットフォームに身を委ねすぎないこと。これがわたしの課題であるかもしれない。だからこそ、わたしにはzineが必要なのだ。

 

zine『sphere』創刊号のテーマは「誰だってオパールなのに」。

なぜ逆説なのかというと、わたしの目下向き合う〇〇活動がそれだからである。わたしは、特定の色彩では表現できないオパールが好きだ。虹色、は色の名称として矛盾している。何かを表現しているようで、なにも表現していない。安易に掬うことができない感じがたまらなく好き。捉えどころのなさは、したたかに生きるためには必要な要素なのだ。

サブテーマとして、「Who I am」みたいな自己分析の要素も入れている。つまり、わたしという存在を語る要素もある。これは、就活の自己分析に抗うことを目的としている。バイアスのかかった自己分析をして苦しむのはじぶんだ。いったん、就活という枠を取り払い、自分を見つめ直したい。…最近の毎日更新がその役割を担っているのだけど。

 

麦畑を眺めた10歳のわたしをわすれない。

そして、わたしを語ることは容易ではないこと。多層で構成されるわたしの一面をいともかんたんに譲り渡さないこと。そして、それは他者に対してもそうでありたい。一つの決められた枠で他者をとらえない。誰だってオパールなんだから!