Naegi

逍遥

ファッションとパッション

最近、ファッション誌に思いを巡らせることが多い。私の興味が女性ファッション誌にあり、そのマッピングを試みているからである。

 

個人的な話をするならば、高校の頃から自分の思うようなファッション誌と巡り会えなくなった。

セガキだった私は、小学生にして『ニコラ』を読み、いろいろな世界を知る。投書欄はなかなか衝撃だった。中学生になり、『ニコラ』に飽きた私は、『セブンティーン』を読み出す。

この頃から、あれ?と思うように。

 

別に、セブンティーンが悪いわけでもなく、私の好みの話である。要するにモテ路線のファッションをに、意義を見出せなくなったのだ。

当然、私は後続のnon-noやらCanCamやらを読むことはない。2020年に特別復刊された『Olive』を読み、たまらなく当時のOlive少女が羨ましくなった。

非モテ路線での自己表現が体現されている。その世界に羨望のまなざしを向けていた。

 

コロナ禍で奇しくも余暇を獲得したわたしは、雑誌を作ろうと試みた。

 

現代版デカメロンを作ればいいじゃない!と『デカマロン』というふざけたタイトルの雑誌を企画した。

 

…もちろん、当時の私は、ボッカチオの『デカメロン』を読んでいなかった。読まなかったからこその発想である。ペストから逃れて…のくだりくらいは知っていたが。

 

まぁ、それはさておき、雑誌を作るならば、雑誌の歴史くらいは知っておくべきだ、と思い、片っ端から雑誌関連の書籍を渉猟した。

 

そこで、私はますますOliveについて調べたくなる。

なぜPOPEYEは生存し、Oliveは廃刊したのか。

酒井順子氏のOlive本などを参照して、Olive女子の実像を知る。

 

たぶん、わたしは当時Oliveを読んでいたとして、別の方向で劣等感を感じることになるだろう。

 

Olive掲載のブランドは総じて価格帯が高く、内容も都市圏のノーブルな人間にターゲティングされたものである。きっと、クソ田舎に住んでいた私は絶望に似た羨望のまなざしを誌面に投影していたことだろう。

 

非モテ、ではあるけれど。

ある意味で物凄いギャップを前提にしたものである。

Olive女子が恋焦がれた小沢健二が示唆するように、あれはノーブル人間によるノーブル人間のための雑誌なのであった…。

 

 

私が希求する雑誌は何か。

ファッションで自己表現🎶を可能にするも、それはハイブランドに支配されないファッションであること。

 

そして、内省できる雑誌である。

ファッションという言葉が軽薄さを揶揄するために使用されることもある。だからこそ、ファッションを扱うには、内省のための、確固たる哲学があってほしい。

 

流行を追いかけて、消費を繰り返していては、いつになっても内省は可能にならないだろう。

 

個人的に、内省力に関してはVogueが優れていると思うことはある。

 

もちろん、消費文化を前提にしつつ、「エシカル」だとか「サスティナブル」とかを並べるなんて、グリーンウォッシュだ、と思うこともあるが。

 

Vogueの特集には、哲学がある。

例えば、Vogue はアマンダ・ゴーマンの詩の話を取り上げる。日本のファッション誌で、このようなトピック設定がなされることは少ないだろう。

カルチャー欄としておすすめの映画や本が紹介されることはあるものの、それはあくまでも巻末のミニコーナーである。

 

あー、POPEYEね。POPEYEはファッションを取り上げつつ、カルチャーを取り上げる雑誌。Oliveが生きていれば、もう少し私の雑誌論は変わったかもしれない。

 

POPEYEの是非については、ここでは言及しないが、POPEYEみたいな雑誌が女性誌であればいいのに、とは思う。もっとカルチャーを扱ってほしい。

カルチャーを扱うだけじゃなくて、しっかり哲学を持って、分析してほしい。

 

それが欲しいなら、『ユリイカ』やら文芸誌を読めばよいじゃない!という声も聞こえてきそうだが、私は写真ページのある、雑誌デザインが好きなのだ。素敵なコーディネートを楽しみつつ、その内側にある哲学を探る。これが私の求めているものだ。

 

その意味で、『TRANSIT』が好きだ。その名が示すように、旅を扱うものの、ガイドブックにはならず、その内側の哲学を示してくれる。衒学的、という批判ワードも想定されるが、わたしはこうした衒学趣味をポジティブに捉える。もう少し、視覚情報に重きを置いた、文芸誌みたいな雑誌が欲しい。

 

これが、私のめんどくさいファッション誌観に繋がるのかもしれない…。

 

昨年の『文學界』上の、ファッションと文学特集は面白かった。島本理生氏と山崎ナオコーラ氏の対談において、Oliveの名が出てきたことに、思わずニヤッとしてしまった。

 

文芸誌側がファッションにアプローチしてるんンだから、ファッション誌も文芸誌的なアプローチがあってもいいのになぁって思うけど、これは私の主観か。

 

たしかに、ターゲティングは難しそうだが…。

見に纏う服装について、もうすこし内省的にありたいし、視覚情報に重きを置いた利点を活かして、もっと世界を広めたい。

 

雑誌『装苑』は、服飾の専門家寄りの雑誌で、服を作る側の視点が垣間見えて面白い。

 

消費だけじゃない、ファッションのあり方をなんとか提示してくれるメディアはないか、私は諦めも悪くKindle Unlimitedで雑誌を次から次へと検索する。

 

 

ただのウェブサイトではダメなのよ。

雑誌がいいのよ。

これはわたしが、曲がりなりにも雑誌制作に携わっていた経験にも由来するのかもしれない。

そして、これからもちょっとした冊子を作る予定である。

 

文学史的に雑誌を研究することにハマってしまうのは、おそらくわたしが雑誌を作っていたから。そして雑誌を読むのが好きだから。

 

これをどうにか形にしたい!と思いながら、

ZINEを作ります!!!!

そうです、今回の記録はZINEを作るためのブレストみたいなものですね。

 

この数週間で、まず手製本のZINEを作っちゃいますよ!!!!

その前に、雑誌の変遷について調査せねば…と私の調査オタク気質が騒ぐのであったー(完)