Naegi

逍遥

運命って解釈の問題じゃない?

–何かが始まる気がした。

 

映画「花束みたいな〜」は、こんなフレーズで始まっていたような。

 

第六感的なその予感は、実はただの解釈の問題なのではないかと思う。

 

この人と結婚するんだろうな〜って最初から思ったんだよね〜と母親は自らの結婚について述べる。

友人の親も、同様のことを言っていたらしい。

最初から解っていた!ということである。

 

私たちは口を揃えて、

「そんなん、後付けだよね」と言った。

その爽快感がよかった。

 

 

運命という言葉はあまりにも多くのフィクションに登場する。だからこそ、そのドラマティックな響きに酔ってしまうのであろう。

 

ただ、今までの人生を振り返って思うのは、運命という言葉はもっと静的で、地味なものであるということである。

 

些細な選択が、実は数年後を大きく変えていたとかそんなもので、そんなドラマティックな予感なんてないということ。

 

運命という言葉に固執するがあまり、自分の気持ちに気づかないなんてこともあるのかもしれない。

 

 

"「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて"

 

フジファブリックの「若者のすべて」では、晩夏のノスタルジックな心象風景が運命という言葉で表現される。

 

たぶん、運命とは日常と地続きにあるものだ。

金木犀の香る大学で友人と語らい、いまの自分があるのは、この人たちのおかげだ…と確信した。

 

運命とはこんな感じの、ぼんやりした感覚でくるのではないか。激しく動的なものではなく。予感でもなく。

 

運命なんて便利なもの…ね。

人生の解釈は、きっと運命という言葉で表されるのだろう。