Naegi

逍遥

10月24日

もう10月も後半に差し掛かっているのだと思うと時が過ぎる早さに驚かされる。ついこの間まで半そでを着ていたというのに、夜は薄手のコートが欠かせないほど冷え込んでいる。

 

木々も緑色を落とし始め、黄色または赤色に変える準備を始めているところだろうか。

大学の銀杏通りもすっかり実を落とし、時折異臭を放つ。

臭い。

 

「う~ん、臭い!銀杏なんて嫌い!」

と言いながら、顔にストールを巻き付けるのだが、銀杏通りを抜けると

金木犀が薄めていた嗅覚を研ぎ澄ませてくれる。

 

金木犀、といえば祖父母の家にあった1本の金木犀の木を思い出す。

それはちょうどガレージの横、道に面した場所に植えられていた。

祖父母の家は小学校と大規模住宅街の近くにぽつりと存在していたため、多くの小学生が祖父母の家の前を通学路として使っていた。

秋になると、多くの小学生が足を止め、金木犀の正体を突き止めようと努力していたものだ。

中には、傘で落ちた金木犀をかき集め、帽子に入れて持って帰る子もいたようだ。

そんな子どもたちをわたしの祖父母は微笑ましく見守っていた。

甘いけど、甘いだけじゃない、そんな香り。

きっと、この香りはあの子たちの記憶の奥底に刻まれ、不意にこの香りによって

幼き日々のことを思い出すのだろうと思う。今の私のように。

嗅覚を刺激し、そのまま在りし日への懐古へと誘うのだ。

 

そんなことを思いつつ、金木犀の香る坂を下っていく。

突然、携帯電話が鳴り、あわわてて出ると電話の向こうの焦った声が聞こえてきた。

「明日は10月24日なんですよ、覚えていますでしょうか、明日のことは?」

見覚えのない要件に困惑しつつも、落ち着いてこう言う。

「もしもし、申し訳ございませんが間違え電話ではないでしょうか?

私はそのことについて全く存じ上げません」

「あれ、あなたはタナカさんではない?あれ、あれっ?

おかしいな、どうしたものか」

私の名前はタナカにはどう見ても似つかない。

「私はタナカさんではございません、落ち着いて電話番号を確認したらどうでしょうか。」

「あっ、あっ、すみません、失礼いたしました」

電話越しの彼は非常に狼狽していたようだ。

何か切羽詰まったことがあるのだろうか。

しかし、この間違え電話はわたしの住む世界に無関係なものではなかった。

10月24日はわたしにとっても大切な日。

すっかり忘却の縁にあった10月24日という日を思い出させてくれたのだ。

携帯電話のカレンダーを見ても明日は間違えなく10月24日だ。

すっかり溜まってしまったLINEを一つずつ返信しながら、10年前の今日を

思い出した。

 

2009年10月24日(土曜日だった気がするけどどうだろう)日本の地方都市の一隅にて。

この日は記念日だった。今も記念日のはずである。

当時の年齢はいまの半分、10歳であった。

父の転勤のため、1年ごとに転校するという生活を行っていたわたしは

どうしても心の底から仲がいいと言い張れる友だちがいなかった。

どこかアウトサイダーな感じがして、固定のグループには入れなかったし、

周囲の態度はあたかも来訪者をもてなすような態度がして(実際そんなことはなかったんだろうけど)友人関係に深入りすることは無かった。

結局のところ、いちばんの友だちはポケットモンスターダイアモンド・パールのゲームソフト、というのが現状であった。

 

2009年中頃からわたしは定住生活を始めた。というと奇妙な感じがするけど、要するに

今まで浮遊していたじぶんというものを地につけられた感じがするのだ。

やっと自分の立ち位置を見つけ、ある種の諦念をもって人付き合いにのぞむようになった。

友達出来ないのかなあとか思いつつ、やっぱり出来ないなあとあきらめていたが、

心の中では1人のかけがえのない友だちの存在がわたしを支えていた。

 

その子の名前を穂香ちゃんとしておこう。本当の名前はまた別にあるのだけれど。

出会いは2007年、今から12年間に遡る。

穂香ちゃんはわたしより1個上ではあったが、感性に通ずるものがあって、

初めて会ったときもすぐに打ち解けた。

親同士が仲良かったため、私たちも頻繁に遊ぶことができた。

惜しくも例によって私はすぐに転校することになり、なかなか会うことが出来なくなったが、文通によって友人関係は長く保てたし、むしろ文通だからこそここまで仲良くなったと思う。

 

ふつうの友だちは学校の話だとかポケモンの話で終始していたものだが、

穂香ちゃんは目の前に在るものだけではなく、類まれな想像力を駆使して

独自の物語を即興で作っていた。

その点、当時わたしは専ら空想に耽っていたため、共鳴することが出来た。

どのような経緯かは忘れたが、二人で物語を作ろう、という話になった。

 

穂香ちゃんと会うと毎回一緒にキャラクターの設定を固め、物語を次から次へと作っていた。

文通では物語の設定となる膨大な資料を送り付けていたし、穂香ちゃんも負けじと

大量の手紙を送ってくれた。家にポストに手紙が投函されているかどうかを確認するのが日課となった。ちなみにいまだにその習慣は健在で、私宛の郵便物は実家宛てに届くことはまれだと分かりつつ、実家に帰ってもなお毎日ポストを確認している。

 

その穂香ちゃんとは1年に4回くらいのペースでは会えていたのだが、

5年生になるとやっと学校で自分の居場所を見つけ、その場の学校生活に専念するようになると次第にわたしの中の穂香ちゃんの存在は小さくなっていった。

 

そして2011年3月。穂香ちゃんの住む地域は被災地として大々的に報じられることは少なかったが、それでも被害は大きかった地域だ。

わたしは穂香ちゃんの身を案じ手紙を書いた。

その手紙には震災にかなりショックを受けた、地震で本棚が倒れた、部屋が汚くなって大変、と記されていたが、穂香ちゃんは無事だったようだ。

と、一瞬安堵してからそれきりほとんど手紙は交わさなくなった。

というのも穂香ちゃんは中学へ入学し、おそらく自由時間が減ったのだろうし、

諸事情のため、穂香ちゃんの地元に訪れる機会もなくなったし(去年やっと訪れた、そんなレベルでです)、関係性は年賀状だけの関係性へと縮小してしまった。

 

お互い受験を経て高校生になって一回だけ、手紙をやり取りした。

名門高校に入学したという穂香ちゃんだったが、進学校ならではの閉塞感に

辟易していたようだった。

わたしは地元の高校に何も考えずに進学し、のんびりと学生生活を行っていたものだったが、穂香ちゃんの手紙を読むと、きっと私は競争の激しい世界に行ったらとっくに淘汰されていたのだろうなあ、と恐ろしくなったのを覚えている。

でも、記憶はこれで終わる。

穂香ちゃんとの関係性は受験前にお互い励まし合ったのが最後だ。

 

大学生になったらスタバに行こうね、と田舎の高校生らしく誓ったのが最後、結局

大学入学後に現在の住まいや連絡先について記した手紙を送ったが返信はない。

母親には「きっと穂香ちゃんもいろいろあったのよ、人間関係には始まりもあれば終わりもあるでしょう」と励まされたものの、どうしても寂寥感は離れない。

 

長いこと、穂香ちゃんの回顧録を記してしまったようだが、肝心の

10月24日は何があると言うとこれは昔わたしたちが定めた記念日なのだ。

べつにこの日は穂香ちゃんの誕生日でもないし、私の誕生日でもない。

ただ単にこの日があまりにも楽しすぎて忘れられないから

「きっと、この10月24日は10年後、20年後も忘れられないだろうね!」

と言って別れた記憶がある。

10月24日は何て言うこともない土日だったが、親の厚意により

穂香ちゃんの地元まで車を走らせてくれたのだ。

長期休暇ではなくても遊べる、そんな土曜日の一瞬一瞬が輝いていたのだ。

私の母親は

「シンデレラの魔法が12時で解けるように、この魔法の時間もじきに終わるよ」

なんてカッコつけたことを言って、私たちのたのしいひと時の終わりを告げたのだが、

今でもあの日は特別だったのだ。

あの日が終わってしばらく、「あの日から一週間…二週間…」と数えたものだ。

 

あの日からちょうど10年が経った。去年、もうあの子との友人関係は

切れてしまったが、偶然街角で出くわさないかなとも思う。

間違い電話があの日を思い出し、久しぶりに穂香ちゃんのことを考えた。

 

まだ世界の分別がつかない、未熟な時代だったが、その不完全さを

一緒に楽しめたのが穂香ちゃんだ。

受験や学生生活を経て、穂香ちゃんはかつての姿から大きく変わっているかもしれないし、今わたしが持っている記憶もだいぶ良いように書き換えられたものかもしれない。

感傷に浸りすぎているかもしれない。

 

でも、金木犀のあの何とも言えない懐かしい香りをかぐと幼き日々のこと、故郷のことを思い出してならないのだ。

そしてこの日付があの魔法の時間を思い出させてくれたのだ。

 

といいながらこの日記を終わりにする。

今日は単なるノスタルジックな回想録でした。

以上。