知床を訪れた。記憶を手繰り寄せるも、楽しかった瞬間が断片的に立ち現れるので収拾がつかない。旅行記が書ける人はすごい。書けない。でも、書こう。
国立公園を歩きたかった。車の運転ができる友人のおかげで、自然散策をしている。作家の梨木香歩さんのように自ら車を走らせて自然を巡るようになりたい、と思うも極度の心配性のわたしには不可能である。こんな僥倖、わたしにいいのか?と自問自答しつつ、自然を巡る。
小学2年生のころ、訪問したい場所を訊かれ「知床」
と答えた記憶がある。フェリーで北海道を訪れるも、道東を巡ることは叶わなかったから、そんな回答をした気がする。そう、道東に行くには日数が必要なのだ。飛行機で行くならば、羽田から釧路空港ないし女満別に行けばいいのだが(直行便は出ているのか?)、フェリーとなると別である。
ということで、十数年知床への未練を抱えて生きていたわけだが、ひょんなことから知床行きが実現することになったのである。
友人が知床に行きたい!と提案してくれたのである。わたしの出発地点を鑑みるに、道東に行くという発想には至らなかった。なるほど、道東という手があるのか。わたしの地平線は、その時に拡がった気がする。
初日は札幌のモエレ沼公園を訪れた。イサム・ノグチについては大学の授業で何度か聞いていたので、ずっと行きたい場所だった。イサム・ノグチの父親である野口米次郎について卒論で少し書いたこともあり、なかなか気になるところではあった。(この父子関係については、ここでは言及しないでおくが)
すでにギャラリーが閉まっている時間だったが、マジックアワーを堪能できたから良しとする。次はギャラリーや他のオブジェも堪能したい。
モエレ山の方面に夕陽が沈んでいったので、山の稜線がいっそう神秘的に見えた。
モエレ山を登る。札幌市内が一望できる場所にあった。
郊外に行くと落ち着く性分であるらしい。札幌駅周辺を歩いていた頃は疲労困憊だったのに(フライトで相当疲れたらしいし、前日の飲み会の疲労も残っていた)、モエレ沼付近のバス停ではすっかり回復していた。
単に田舎に対する憧憬を持っているわけではない。わたしの育ったところに少し似ていたから、安堵したのだろう。地元に戻るたびに嫌な思い出がありありと思い起こされるけれど、わたしのふるさとはあの街なのだ、と否が応でも感じてしまう。
翌日、千歳空港から女満別空港に移動した。広大な山岳地帯、畑を越える。赤毛のアンの世界を想像した。プリンスエドワード島にも行きたいと思いつつ、目の前の風景を眺める。
網走監獄を訪れた。ブラタモリですでに歴史を予習していたのだが、開拓の歴史はかなり過酷だったようである。まぁ、開拓といえば聞こえはよいが、ある種の帝国主義的営為であることを考えれば、複雑である。開拓できたことを祝うべきなのか?と疑問視する。展示はとてもよかった。資料の展示があまりにも豊富だったから、何時間でも滞在できそう。再訪したい。
車を走らせ、知床へ。
宇宙に対して畏怖の気持ちを持つのと同じ感覚がした。知床半島は、人間が安易な気持ちで立ち寄れる場所ではない。船で周辺海域を巡るか、整備された道を歩むか。先端に行くことは可能ではあるらしいが、相当熟練の登山者ではないと難しいようだ。それもそのはずである。ヒグマの出没率は高いし、道だって整備されているわけではない。
翌日、知床五湖を散策するのだが、事前に受けたクマの注意喚起が怖すぎて終始怯えていたのだから、私は知床の山を登るなんてあり得ないことだ。畏怖の気持ちでいっぱいである。
クルーズを終えた後、天国に続く道と謳われる場所に向かう。想像以上のスケールに感動した。真っ直ぐ続く道を見て、バイエルンの風景を勝手に想像した。行ったことはないけれど、バイエルンを舞台とした小説に書かれていた風景に似ていた。丘が地平線まで続くらしい。だから、わたしは北海道の風景に惹かれ続けるのだろう。針葉樹、畑、丘が構成する風景を愛してやまない。
夜には満点の星空を眺めた。わたしの持っているカメラでは星空を収めることができなかった。惜しい。でも、あの星空を忘れることはないだろう。流れ星のようなもの見えた。同行する友人に願いを聞いたところ、現状維持、と言われた。確かにそうなのかもしれない。わたしも、特に願うことはない。ありがたいことである。
つづく。