Naegi

逍遥

8月の雑記

8月の夜は秋だ。

この季節になれば、井上陽水の「少年時代」やらフジファブリックの「若者のすべて」がラジオで流れる。私はヘルシンキラムダクラブの「何とかしなくちゃ」を執拗にリピートする。秋は本当にキリンジがよく似合う季節で、散歩する度に空気とキリンジが浸透していく感じがする。

 

太宰治は随想「ア、秋」において、秋は夏と同時にやってくると述べる。8月に入れば、徐々に秋の顔が見えてくる。徐々に高くなる雲、クリアになる空気をみれば、秋が始まることを感じる。希望だ。淀みがなくなっていく感じが、心地よい。今年はたぶん、lampや流線形の音楽を聴いて秋を過ごそうと思う。空気の質感と似ているから。

 

夏季性うつとは言わないまでも、私は夏に心の調子を崩す傾向がある。今年の夏もそうだった。論文を書く必要があったのに、研究に集中できない日々が続いた。小学生のときからそうだったから仕方がない。夏の空気って、私には合わないみたい。割り切りは大切。

 

こうやって文字にしなければ、忘却しそうな思い出がたくさんあるから記しておく。

友人と出かけた日の帰り道、あえて普通列車に乗って、人生のことをたくさん語った。

車窓に見える山並み、川の水面に照射する夕暮れ、集合住宅のベランダ。写真におさめたわけではないけれど、きっと記憶とともに残るでしょう。

 

学生生活にはハイライトが多すぎる。コロナによって、人との接触が阻まれていた時代はつらかったけれど、これによって普段の学生生活が祝祭のような雰囲気ががあってよい。結局、目の前の幸せは一度、何らかの形で消えなければ見えないようだ。なかなかうまく作られている。一緒に夕暮れの色に感動できる瞬間があることを、これからも忘れたくない。