Naegi

逍遥

断片日記0616

久しぶりに文学理論の本を開いて、勉強しようとしている。受験生だった時の、あの高揚感が蘇る。私がかつて受験に注力できたのは、目標を達成せるためではなく、勉強が楽しかったからだ。楽しかったから夢中になれたのであって、目標達成のゲームが楽しかったわけではない。それを証明するかのように、嫌いな教科の点数はひどく低いものであった。

 

研究室の人たちを見ていると、みんな受験勉強を頑張った人なんだなと思う時がある。とはいえ、この文句は諸刃の剣で、時には研究への適性のなさを物語ってしまうのである。受験という言葉が、研究のディス文句になってしまうことを考えている。確かに受験勉強と研究はつながっているが、根本的なアプローチが異なる。

 

この二つの隙間を埋めたいと考えているが、大して理論も理解しない大学院生ができるものなどたかが知れている。どうにか、受験勉強から研究への橋渡しがしたい。現状、一部の国立大学附属校や私立学校ならうまくやっているが、公立だとからきしダメ。いちおう探求授業なるものはあったが、大学教員の面白い話を聞くに留まっており、問いを立てるとは何か?という根本的なアプローチに欠いていた。最後の1年間、需要があれば、この目標を達成したいと思うが、どうすればいいのだろうか。まぁ、おおよそ検討はついているのだけど。

 

心が中学生のままなので、好きな歌詞や詩をノートに書きつけている。引用と書かないと、自作の詩として解釈しそうなので、いつも赤ペンで「引用!」と注意書きをしている。お気に入りの引用句が連ねられたノートを見る。これを見返す余裕が、これからもありますようにと祈る。

 

Instagramをブラウザから見る。まとめて作業として確認するが、やはり金曜の夜はみんな楽しそう。社会人になるとは、そういうことか。ちょっぴり楽しみができた。