Naegi

逍遥

近況報告

収縮することに終始しそう。あらゆることを、終わりにするために。最近、いろいろ限界を感じている。体力、気力、食欲、学力。年上の友人が口を揃えて24歳が変わり目だと言う。まだ行ける。それでも、揚げ物ばかりの学食では選択肢が限られるし、二次会のカラオケも行けなくなった。最近はあらゆるところが痛い。不定愁訴かもしれない。ストレスは特にない。刺激がなさすぎるのかもしれない。

 

学部2年を思い出す。バイト先やサークル、研究室で指導を受けた。仕事もできなければ研究もできない。それでも、合間は英語の勉強をしていた。10時過ぎにバイトが終わり、そこから友人たちと深夜まで遊ぶ。ちょうど20歳になったタイミングなのでお酒を飲むようになった。限界という言葉が脳裏によぎることはなかった。精神的にしんどくても、それに相応する分遊べばなんとかなる!と思っていた。単位を落とすことはなく、真面目に生きていた。

 

ちょうど人生の変化期にあると思う。山のように浴びていたソーシャルメディアの情報に胸焼けし、ようやく文章を精読できるようになった。あれほど夢中になっていたのに、もはや人の生活に関心がなくなった。自分の幸福はやはり、自分で見つけなければならない。良しとされることは、あくまでも良しとされるだけで、本当の意味での幸福をもたらすわけではない。

 

友達も同様で、深い付き合いの方が楽だということに気づいた。交流のための交流には疲弊する。もちろん、これから所属する組織での出会いは楽しみだが、大学という場には飽きてしまったのかもしれない。もちろん、いまのコミュニティは居心地がよいけれど、これ以上大学のコミュニティでふろしきを広げたいとは思わない。大学を歩けば、ボリュームゾーンの世代から外れていることを実感する。あの時の楽しかった大学は、過去に追いやられてしまっだ。

 

研究室は少人数だが、今や後輩の指導を担当することになっている。指導は楽しいが、今後も続くと思うと、就職という選択肢をとってよかったと思う。わたしはどこか、限界のようなものを感じていて、これからも素晴らしい先輩として振る舞うことを要求されたならば、耐えられないだろう。わたしは、全然違う分野の組織に入って、研鑽したい。タコツボに入って抜け出せない感覚がある。

 

5月は忙しかった。だから、今になって疲れが一気に出た。5月が涼しかったからか、6月の熱気に耐えきれずにいる。常夏の楽園ベイベーとかどういうことだよ!とかブツブツ言いながら、研究に没頭する。限界を感じる一方、成果物を出す喜びも同時にあるため、幸い修士論文執筆はそれなりに楽しんでいる。ただ、少し疲れたかもしれない。

 

高校時代から今まで、土日も休まずに勉強してきた。もちろん、時として友人と遊んだりライブに行ったりして趣味を楽しむこともあったが、特に予定がなければ勉強していた。もう耐えられなくなってしまった。24歳は変わり目なのだ。

 

ハッスルカルチャーに毒されていた。確かに、学生生活は拡大の時期にあったと思う。知らない世界に飛び出すことがとにかく楽しかった。ハッスルカルチャーの限界をようやく感じている。走り続けなければ幸福は得られないかのように感じていた。

 

そうではないのだ。焦って行動するより、ゆっくり生きた方が幸福なのだ、と気づいた。就職先が決まってやっと、ハッスルカルチャーから解放されたように思う。ありがたいことだ。

 

あらゆるものから解放されて、moon child やハイエイタス・カイヨーテを聴く時間が幸福。孤独はこうやって埋められるのだ。全力で休もう。これからの目標は休憩することだ。