Naegi

逍遥

豊かさ

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外出していない間に、季節が変わった。

変わった、というよりは顕在化したというべきか。

春を来るのを拒みたい気持ちは、外に出られないもどかしさに起因していたのかもしれない。

 

この気温は、なにかと不安定な特質を帯びているような気がする。寒いけど、寒くない。ぬるいお湯が不安を投げかけるように、春は落ち着かないのだ。

この不安定な気持ちと、桜の開花、落葉樹の芽吹きは近しいものを持っている。急激な変化は不安定な地盤から起こるのだ。盤石な体制では、現状維持が望まれてしまうから。

 

この不安定な気持ちと、ドリームポップは相性が良い。わたしは、夢見心地でいる。ドリームポップのカテゴリーが妥当かどうかは定かではないが(ミツメをドリームポップか?という問題はここでは取り上げない。便宜上、ドリームポップということにする)、狂ったようにミツメを聴くのがこの時期だ。ミツメの音楽はどこか線が細く、切ない。それでも、春を喜ぶような温度感があって、この不安と期待な気持ちにすっぽりはまってしまうのだ。

 

サニーデイ・サービスの「春の風」も、春の不安定さをうまく描出していると思う。疾走感のあるメロディーラインはもちろん、春の衝動あふれる歌詞が大好きだ。

 

またもや音楽の話だが、カネコアヤノの「とがる」は早春にぴったりな曲で、カバーの梅の花がちょうどいい塩梅である。「かわってく景色を受け入れろ」という歌詞は、春の到来をも示唆していると思う。春は無からの創造であり、勃発なのだ。梨木香歩の「西の魔女が死んだ」において、プラタナスの芽吹きを「勃発」と表現していたことを思い出す。

急に隆起した火山のように、春を受け入れるのには時間を要する。それでも、春を受け入れたら、豊かさを得ることができるのだろう。

 

帰り道、この気温感に懐かしさを覚えた。新歓からの帰路だ。大学一年生の頃、全く知り合いのいない大学に入ってしまったがために、コミュニティへの加入に必死だった。学部の交流はなんとなく少なそうだし(実際そうだった)、他の学部の人たちとも知り合いたい。そんな気持ちでサークルのオリエンテーションに参加したが、不安でしかたなかった。

人見知りだし、人に対して壁を作っちゃうし。やたらとコミュニケーション力が高い人に囲まれ、孤独だった日を思い出す。バーベキューの輪に、入ることができなかったあの日。

 

予想は、いい意味で裏切られた。この5年間、わたしが思う以上の豊かさを享受することができた。周りの人から信じられないほど大きい愛をもらった。人付き合いが嫌いだったのに、いつのまにか周りの人がいないとしんどくなってしまった。それくらい、みんな愛を注いでくれた。「〇〇さんのこと、大好きです!」と惜しみなく言ってくれる後輩は、この春、大学を卒業する。

 

もうみんないなくなっちゃうじゃん!と悲しくなる一方、この生活もあと一年か…という寂しさも感じる。アンビバレントな気持ちで新年度を迎えそうだ。

 

一年前の卒業式を思い出す。

袴を返却し、全てが終わった後のこと。袴の返却会場で、同じ学部の友人と出会った。

 

「全部、終わっちゃったね。」と寂しそうに話した。それから、この4年間のこと、これからのキャリアのこと、人生にまつわるあらゆる話をした。あの日、大学の食堂で語った内容は忘れられない。それからまもなく、彼女は遠くの街へと引っ越して行った。

 

そんな感傷に浸りつつ、今もなお、頻繁に連絡を取れていることに感謝したい。大学卒業しても遊ぼうね!と言ってくれた友人の多くと、今もなお交流が続いている。有言実行。往々にして反故にされる文言だが、ちゃんと約束は果たされている。本当に、愛に満ちた人間関係に恵まれた。

 

学部(研究室)の友人、サークルの友人、バイトの友人。

信じられないほど、豊かなものをくれてありがとう。そして、インスパイアしてくれてありがとう。

その豊かさを忘れずに、これからのことを考えたい。