就職活動をするにあたり、外部からの視線を意識したセルフイメージの構築は不可避だと思う。まぁ、よくいわれることだが、私が絞り出す文章も、書いているのか書かされているのか、その領域を分断することは難しい。
…なんて、テキトーなことを言って誤魔化そうとしているが最近は全然物事を真剣に考えられない。適度にアウトプットしなければ、何も考えられないのである。結局、何かを書く、とか外側に出すことをしなければ、考えられないのかもしれない。
やっとパソコンを新調したので、この快適さに驚かされる。前のパソコンは頻繁にフリーズしていたので、いわゆる「ゾーン」に入ることができなかった。調子が出てきたと思えば、フリーズ。ものすごくフラストレーションが溜まっていたのだが、どうにかこうにかしてこの苦境を抜けることができた。パソコンありがとう。
パソコンの処理速度の向上により、ブログの筆も運ぶ運ぶ。いいね。
文字数はかさむ一方で、何も言うことがない。ああ、今もしかし幸福のなかにいるのかもしれない。幸福なときこそ、脳みそは空っぽで、目の前にある幸福を享受するのに必死。そんな状態。
といいたいところだが、嵐の前の静けさのような状況である。
研究のアウトプットをこの一か月で仕上げ、就職活動への備えをしなくてはならない。
コンフォートゾーンから抜けらると捉えればプラスなことである。
今年の目標は「攻めの姿勢を崩さない」だし。(社畜社員の目標みたい。)でもなぁ。
というわけで、この文章を書いているのは、そうした不安に駆られているからであるが、何も考えられないので今回は筆をおくことにする。
(…レポートが書けなかった2年生のころ、よくこんなことを思っていたなぁ)
大学院に入る前は研究が好きだったのに、最近はちょっと辛い。
楽しいけれど、この楽しさは研究そのものに由来する楽しさではなく、学生生活の楽しさだから。研究そのものに対しては、ちょっと真正面から向き合えていない気がする。
研究室の教員のコメントを見れば、私がテキトーな態度で研究に向き合っていることはお見通し、ということがわかる。プロだもん、そうだよね。研究のこととなると、普段より頑なになってしまうが、まずは言いたいことを整理するとから始めたほうがよいのかもしれない。
ごめんなさい。こんな生半可な態度で…と心のなかで言い訳する。
就職活動があるから、と言い訳もする。
どっちつかずなんだよな。就職活動が終わったら、研究と真正面から向き合うことにしようか。
そうしよう。
(自己完結しておわる)