多くの場合、巧みな話術にはアナロジーが含まれている。聞き手の理解を容易にさせるために、アナロジーが用いられる。〇〇が〜なのは、ーが…であることと同じなのです。
なるほど。聞き手が巧みであるほど、聴衆は納得してしまうだろう。ただし、「勘のいい」聞き手であり続けるためにはこの種のアナロジーには警戒しなくてはならないのである。
アナロジーは時に本質を遮蔽する。
都合の悪い事実を隠すために用いられることもあるのだ。
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レッツ英文和訳!と言いたくなるような翻訳調で書いてみたが、これは私の最近思うこと。マジで。就活を本格化させ、企業の説明会などに出席する機会も増えた。
いやーなんというかアナロジーや比喩の多いこと。
聞き手を惹きつか、内容を平易にするために多用するのはもちろんわからんでもないのだが、かえって嘘くさい説明になっていると不安になる。
実際よりもよく見せるために不適当な比喩が使われているのではないか?と思う場面もある。
説明会のメモには「〇〇社 ソフィスト的な語り」と書いた。
情報が氾濫する現代において、分かりやすさという価値基準のヒエラルキーは比較にならないほど上がったように思う。語りが巧みな人間の巻き上げる富はいかほどか。
わたしは私の大切にしたい価値観において、嘘をつきたくない。嘘っぱちの比喩なんて使って、分かりやすくなんてしたくない。
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就活においては、斜に構えた姿勢を崩さず、本音と建前を切り替える能力が求められるようだ。
なかなか難しい。