やっとのことで学位論文を提出した。
長い旅だった。
提出直後は嬉しくて声のトーンが二段階くらい上がったし、普段より二割増で饒舌になった。
忙しいはずの先輩を捕まえて、嬉しさのあまり数時間話し込んでしまった。
それくらい、重荷がのしかかっていたんだなぁ、と今、気づく。
2021のブログが比較的不作だったことからも明らかなように(ああ、論文の口調で書いてしまう、今年は論文に吸い込まれたかのように文章を書く気が起きなかった。
気軽に外出できなかった社会情勢もあって、目新しい話題がなかったことにも起因すr(やっぱ論文の口調になる)けど、まぁ思ってたよりもプレッシャーを感じてたわけです
論文を提出できた達成感はなかなかなものだったが、文章に含まれているであろう誤字のことを考えると少し憂鬱な気分になる。それに2年後も全く同じことをしなければならないのだ。
つまり、今回の論文は終わりではなく通過点。
はじめての論文書けました〜やったね!くらいの喜びである。
嬉しいけど、素直に喜べない何かがある…
きっと口頭試問でこれからの課題を言い渡され、(あるいは課題を述べるように言われ)、結局これからも調査を続けなければいけないんだろうなと思う。でもワクワクする。(ツンデレ)
アンビバレントな感情を落ち着かせるため、いったん冷静になって振り返りをしてみよう。
鉄は熱いうちに打て、だ。
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テーマ設定時期→3年の春
コロナで空白の時間がうまれたので、しかたがなく興味のある本を片っ端から借りる。
幸い、図書館が閉まる前にある程度文献を入手できていたので良かった。
2年の冬に書いたレポートのテーマを深めたくて、関連する本を探し、読む日々。
人生で初めて研究の醍醐味を知った。
まぁ当時はコロナで楽しい予定が全てキャンセルされ、鬱々としていたけど。
コロナのおかげ(元凶ともいうべきか)で、研究したいフィールドが決まった。
いま思えば、早すぎた気もする。(興味ないトピックはすべて無視してきたし、レポートも全てこのテーマに寄せていたため、得られた知識の幅は狭い。偏愛とというべきテーマ設定。)
まぁ、研究職になろうって思わなければ偏愛的な情熱で研究テーマをサクッと決めてもいいのかもしれない。
(センセに研究職勧められたけど、いろいろ問題があるので今のところPhDを取得する予定はないですねえ)
後輩にアドバイスするなら、クリスマスと正月一緒に過ごせる相手を選びなさいってことですね。
もちろん、相手は研究テーマ。
ある意味、パートナーなので()
卒論までの事前調査
3年生の春にテーマを決めたので、3年次はひたすら関連トピックを掘り下げた。
そこで痛感したのは、テーマ設定をミスると、考察もクソもないってこと。
これは、存在しない砂金を探す感覚に近い。
調査すればなんか出てくるだろwww精神で文献にあたるも、証拠は一切出てこない。
これってあなたの感想ですよね?www()と一蹴されそうなレポートを量産していた。
敗因は先行研究があまりにも少なかったこと、先行研究自体が信頼できるものではなかったこと、である。
本当に何回も言うが、先行研究なしの分析はあり得ない。
いくら頑張ってテクストを読んでも、先行研究を踏まえなければ、それはあなたの感想になってしまうのだ。(大切なので蛍光ペンを引きたい部分)
どんな話題を掘り下げるにしろ、先行研究は必須。
それ自体を論じたものがなければ、近い枠組みで論じたものを探せばよい。
ハウトゥーを述べる気はないのだが、何度も痛感したことなので忘備録として残しておく。
4年前期→テーマ設定に迷いが生じる
迷走していたのが4年前期。
先生に相談して、いくつかのテーマを用意することにした。
なぜかといえば、どこを掘れば砂金が出てくるのか一切検討がつかなかったから。
そしてテーマ設定をミスれば、主観的な記述(論文としての体裁をなさない何か)が生まれる。
テーマ設定の質で、論文の完成度は決まるといっても過言ではない。
後輩にアドバイスするなら、この時期は存分に迷っておくのが吉ということ。
なぜなら結果的にいくつか掘り下げていたことが最終的にひとつの文脈で繋がったからである。
まさにセレンディピティ。
迷いに迷って、いろいろメンタルも体調も壊す(弱い)が、結果的に吉と出た。
余裕のあるうちに、いくつかのトピックを掘り下げておくと、後々楽である。
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眠いので今回はここまでにする。
蓄積された疲労から解放されたいから、寝ます。
(でも、鉄は熱いうちに打ちたいので、このまま公開しちゃいます‼️😄💪👊)