久しぶりに芸人のエッセイを買った。
購入したのは、フワちゃんのコラムで話題沸騰だったAマッソ加納のエッセイである。
先週のフワラジオで加納さんを知り、そのワードチョイスの天才さに引きこまれてしまった。
フワちゃんの親友としてのAマッソ加納しか知らなかったのだが、その芸風や人柄はまったくといって知らなかった。
知らなくて損していた。
え、こんな感性が天才な人間おるん?ほんまに?
と私を似非関西弁たらしめるような加納さんの色鮮やかなエッセイを読み、すごいパワーをもらった気がする。
一つのものを見たとしても、受け止め方は三者三様ってね、知っているつもりでもわかってない。こんな物事の見方をする人おったんや!という驚きで満たされたから、わかってないんだ、、私は。
というか、こんな感じ方もアリなのね!よっしゃ!という感覚を与えてくれて、私はとても救われたように感じる。
奇をてらわず、普通のことをする。その風潮に毒されていたのかもしれない。
自分のことを痛いヤツと思う人間は多いんだろうな~とやや自嘲気味になりながら文章を綴っているので、基本的に自分の書いた文章は人に見られたくない(とかいいつつ、各種SNSに本ブログのURLを貼り付けているので、矛盾している)
が、別にそんな必要はないし、己の道を行くのに問題なんてないんじゃね!!!!とギャル並みの暴走力をくれた。ありがとう。
思い出したのは、高校の校長先生の言葉だ。
当時、メディア系の部活に所属していた関係で、校長先生に話をうかがう機会が何度もあった。もともと英語の先生で、人当たりがいい人だった。
その先生が異動する時、私の部活宛てに高級チョコレートとThe pen is mighter than the sword.と記されたメッセージカードを贈ってくれた。取材のお礼とのことです、と顧問の先生は告げていたけれど、お礼を言いたいのはこっちの方だった。
The pen is mighter than the sword、なんて使い古された格言とも思っていたのだが、校長先生から貰うとなると話は別。
花形の部活ではないけれど、私たちは強いぞ!と確信した。
…とはいえ、そこまで踏み込んだ活動はできなかったが。
ようやく、この言葉が日の目を見てきた気がする。
政治や文化という広い枠組みではなくて、もっともっと個人のミクロなレベルでもこの格言は生きると思うのだ。
5月は鼻風邪に罹り(notコロナ)、不眠にも悩まされ、踏んだり蹴ったりで塞ぎこみがちだった。人に会えなかったことにより、ひどいホームシックにもなった。もう4年生というのに恥ずかしい。
でも、もう大丈夫な気がする。
たぶん、言葉がある限り、どうにかなると思う、と漠然とした自信が湧いていたのだった。
加納さんのような、飛び跳ねる文章を読み、元気付けられたりもすれば、漠然といだく感情を言語化して安心したりすると思う。これからも。
無理に武装しなくても、大丈夫。
言葉があるから大丈夫、と言い聞かせたところ、不安や寂しさはふわっと吹き飛んで行った。