車窓の風景は過去だと思った。
この前、生まれた街を窓の外から見た。
(なんか荒井由実の歌詞にありそう~笑)
ビル群が密集した生まれた街の窓の一つ一つを見ていたら、
懐かしい光景が見えた。
列車の窓越しに、デパートに続くペデストリアンデッキを見ると、6歳の時の記憶が蘇った。
かつて母親に手を繋がれながら(この辺の記憶は曖昧)、デパート一階のアクセサリー店で髪飾りを見ていた。
向日葵のヘアゴム、ビーズのカチューシャ、スパンコールのシュシュ。
きっと買ってもらえないんだろうけど、これを身に纏ったら可愛いんだろうな、と思っていたのは記憶に残っている。
なのに、今はその物欲はびっくりするほど失せている。
母親とショッピングモールに行き、ヘアアクセサリーや洋服を見る、という行動自体は6歳の時の時のそれと変わらないのに、全く心がときめかない。
「このイヤリング、このクオリティで2000円?高すぎる」
「え、この生地は安っぽい」
と脳内文句たらたらである。
かつては洋服やアクセサリーに””夢””を感じていたのに。
すっかり夢から醒めてしまったようである。
そんな醒めた目で、過去の街を見る。
過去の街は、学生服やスーツで埋め尽くされていた。
誰かにとっての過去の街は、誰かにとっての現在の街。
そう思えば、変化に憂えることもないだろうし、きっと感傷的なノスタルジーに耽ることもないのだろう、と思う。