80年代風の演出で話題になった「忘れられないの」など18曲を収録したサカナクションの「834.194」がセンセーションを引き起こしたのは記憶に新しい。
サカナクションは東京という街に固執しているのか?というほど、東京の街を意識的に描いているのである。
「聴きたかったダンスミュージック、リキッドルームに」や「ユリイカ」のリリックは地方から東京に上京した人の心のうちが描かれている(と思う)
東京という街に吸い込まれ、地方から出てきたという事実を塗り替えようという気持ちは多くの人が抱いているのである。
Instagramで東京に出た高校同期の写真を見るにしても、「あ、都会に染まったな」という感想が出てくるし、東京が抱えている吸引力とはどのようなものなのだろうか…。
そんな疑問が最近頭の中にぐるぐると渦を巻いている。
音楽界においても、東京は特別な街であると思われる。
「東京」というタイトルの楽曲は枚挙に暇がない。
「おらさ東京行くだ」もある種の東京への憧憬を表した曲である。
個人的に東京らしさを一番感じるのはピチカート・ファイヴの「東京は夜の7時」であり、これはリオのパラリンピックの閉会式で使用された。
シュールな子供向け番組「ウゴウゴルーガ」の主題歌としても使われたという。…子ども時代にこれを聴いていたら…!
お洒落な曲ですね。
中田ヤスタカの楽曲でも「東京」という単語は何度も使われている。
初期capsule時代の楽曲ピチカート色というか渋谷系の要素を多く含んでいるからなおさら、なのかもしれない。
perfumeの楽曲でも東京という街は何度も歌われている。
(ワンルームディスコとか、モノクロームエフェクトとかそうでしょ。
音楽のムーヴメントの話をすると、東京を歌うもの、すなわちシティポップについて語ろう。
シティポップというジャンルは東京を礼賛するものなのだ。
2017年のユリイカでceroはシティポップはユートピア的シティを歌うものだ、と定義している。
都市に付随するイメージとしては、人が多く不衛生、空気も汚い、犯罪も多いなどマイナスなものも少なくはない。
ーー
7月くらいに書いた記事で、
公開するの忘れてた。笑笑
この間のヨギー×サチモスのライブで
ヨギモスでYONCEが言ってた言葉が示唆的である。
具体的な文言は忘れたけど、
生きるのに辛いシティをあえてフィクショナルに美化することで毎日のストレスを緩和する的な?
しばしばシティポップは現実からの逃避だ、
ある種都会をユートピア化している、との批判がなされるが、よくよく考えるとシティポップはシティの住人により担われており、現実との乖離は当事者も重々承知なのである。でも、やっぱり生きていかなければならない都会。
これを美化することで欲求不満を解消しているのではないか。
シティポップもある意味では都会住民による集団的なカタルシスなのか、、