Naegi

逍遥

春の縁に座る

深夜2時にウエハースをかじりながら、

音楽を聴く。背徳感に敗北。

室内の温度はエアコンのスイッチを入れなくても

凍えない程度に落ち着いていた。

デジタル時計の日付は2月25日を示していた。

2年前に迎えた二次試験を未だに思い出しては

ひたむきだったかつての自分と今の落差に落ち込んでいたものだったが、今日は少しばかり前を向けるようになった気がする。

 

今日はいつもの通りから少し外れて、飛行場まで歩いた。

遠くで鳴り響く飛行機の轟音を毎日聴いていたものだが、こんなに近くで飛行機が離着陸しているとは。

飛行場への道中、一瞬この街の夜景がちらりと見えた。

2年前はこの街の起伏の激しさに驚いたが、

この街で暮らしたい!と強烈に思った。特に根拠はないけど。強いて言うなら前述した通り、モノレールのある街だという点かな。

 

タクシーに揺られ、内見に向かった際、わたしは窓の外の街を見て、ここだ!と確信した。もう一つの候補地だった東京ではなく。

 

…なんて想いを馳せると、2年という期間は案外長いなとも思う。

がむしゃらにいろいろ挑戦してきた反面、自身は失われる一方だった。

何が残っただろう?この2年、と問い詰めても良き友は得られた…でもあと何?と答えが見つからなかった。

 

しかし、今日受験生と話す機会を得て

それは悲観的すぎたと気づく。

留学、人文学についていろいろ訊かれたとき、

1年前の自分は答えられなかっただろうなぁと

はと思った。

 

正直、今もまだ全然一人前じゃないけども、

確実に進歩できているなぁとほっとした。

 

留学や国際協力に励む友人たち、夢に向かって

毎日資格の勉強をする高校時代の友人の姿を見て

何者にも慣れていない自分を悲しんでいたけれど

でもその悲観は全く必要のないものだと気づいた。

自分のペースで、やりたいことを進められてきたようにも思えてきた。

 

先週、やはり英語面で自分の至らなさに落ち込んでいたけれども、それも経験値として必要なのかな。

 

自分語りは往々にしてつまらないので切り上げる。

ーーー

空港街のネオンサインを見る。

 

ラブホテルのそれはいかがわしくは感じるものの、

80年代のデザイン風である意味、とても今風なのである。

 

やたらと80年代のアニメーションを貼り付けて、お洒落、と称揚するもん、今の潮流だと。

以前はとてもダサいと思っていたラブホテルだったが、なぜかとても洗練された建物に見えた。

 

まぁ、いかがわしさは芸術にもなりうるからね。

 

ーーー

 

そう、今朝受験当時の気持ちを思い出そうと

受験期ヘビロテしていた曲を聴いたら

なんとも言えない気持ちが蘇ってきた。

 

CAPSULE のcontrol とか、tofubeatsのディスコの神様、朝が来るまで終わることないダンスを、

Zeddのstayとか。

大学生になったら生で聴く!!って毎日思ってたのが懐かしい。

休憩時間に爆音で聞いて踊ることが気晴らしだったけどそれは今も変わらない。

テスト前に同じムーブしてる。

 

ーーー

春はいますぐそこ。

二次試験が終わるとすぐ3月が始まる。

3月も早い。

うっかり暁を覚えない春眠ばかりを繰り返すと4月になる。

4月になれば私も3回生か、いろいろ折り返し地点だな。

と、気持ちを噛みしめながら春を待つ。

ーーー

この季節、アコースティックな音楽が妙に聴きたくなる。

なぜだかわからないけど笑笑

 

眠いので、寝よう、春は眠いのだ!

断髪して復活

恥ずかしいことに、カフェイン中毒に陥った。

 

https://youtu.be/5_c1GQsosvs

 

最初は呑気にこの歌を聴いていたのだが…

顔の痺れ、手足の震え、心拍数の増加。

一気に全身症状が襲った。

 

私、死んじゃうんかなあ、と悲観的になりつつも

ストックされていた炭酸水を3本飲んで耐えた。

 

これ、別に特効薬とかあるわけじゃなくて体内のカフェイン濃度が下がるのを待つしかないんですね…

地獄です

 

何が悪かったのか?

ブラックコーヒーを飲んだ後にバイトに向かい、

バイトから帰宅してからもモンスターでカフェインを摂取したから…ですね

ロクにご飯を食べなかったのが悪いんです

 

そもそも、この日はレポートと言語のテストの勉強を抱えていて、頑張ろう!と思ってカフェインを入れたのですが…正直こんなことする必要はなかった…言語のテストは思った以上に易しかったし、レポートもあの時点でほぼ書き終わってた、そもそも持ち込み可のテストってことを考慮すべきだった、

 

つまり、テスト期間のフィナーレを飾るべく、

儀式的にモンスターを飲んでしまった私が悪かったんだわ、そりゃあそう、モンスターは体に悪い。

 

もう二度と飲まねえ!!!!

 

ていうわけで寝不足のままテストを受けその足で美容院に行ってきたので体調崩しました!!、!!

ばかです!!!!!

 

まあいいや、寝てばかりいられる1日も幸せだし。

ーー

 

 

タイトルの通り、髪を切った。

 

元々短髪が好きだったのと、

ショートカットのお姉さんに憧れてたから。

ライブに行く度にショートカットのお洒落な

女性を見て憧れを抱いていた…

 

成人式も終わったわけなのでバッサリ切ってもらった。マジ最高。

私の髪の毛があたかも過去の因縁かのように見えた、さよなら私の過去。

 

あーーーースッキリした!!!!

 

ーーー

 

というわけでショートカットの女として

新たな生活を迎えているわけだが

体調不良のせいで何もできない。

 

文章紡ぐことしかできないの辛い〜

あと早く課題を終わらせねばならぬのだ。

音楽について書くというものと翻訳の訂正版。

 

ーー

 

そういえば酸っぱいぶどうだと言って

諦めかけてた案件ですが、奇跡的に?

何とかなりそうです。

来週には、とりあえず一区切りつきそう。

 

これは学生生活ないしキャリアを考える上で

かなり重要なので確実に進めていこう。

 

ーー

花が欲しい

 

って唐突に思った。

 

きっかけは、近所で花束を持ったおじいさんを

見かけたことだった。日常の中でみる祝福、とても素敵だった。

 

成人式にて花を贈られている同期、

家に花を飾っている友人の様子。

花は生活に豊かさを添える。

 

これは、花屋に行くしかない!と花屋衝動に駆られている。今まで行ったことなんてなかったけど。

 

花屋の店先に並んだいろんな花を見るんだ!💐

 

自分に贈る花とはいえ、豪華にしよう、

テストお疲れ、その他諸々お疲れ様という意味合いを込めて。

 

あ、あと百貨店のバレンタインフェアに行って

ご褒美チョコ買うぞ、美味しいやつ!! 

 

ーー

金は無くなる一方だが、

生活は豊かになった。

 

趣味や頑張れるものがある毎日ってとても満ちているな〜と実感。

これからもいろいろ頑張るぞ、とポジティブに締めて。

眠れない夜に 再

「あなたは末吉」

私のために御籤を引いてくれたという

母親からのメッセージだった。

どうやら私の運は吉の中でも最低らしい。

 

「これからいい事あるって書いてあるよ」

「ただ、今は大変かもね」

 

ふーん、と聞き流す。

 

改めて御籤の写真を見ると

軒並みいいことばかり書かれていた。

 

 

今を耐え抜けば吉、とのこと。

願い事も叶うとのこと。少し時間は必要らしいけど。

 

願望……?となったがテストから開放されること自体が願い事なので

当然叶うか、と腑に落ちる。

 

 

テスト終わったらやりたいことを紙に書き出したら止まらなかった。

 

まずは髪を切ってアッシュグリーンに染める。

短くしたからにはゴツめのイヤリング買って

(お洒落な音楽イベントに出没するタイプの若い女性は往々にしてこのような見た目をしている)

両親に成人のプレゼントを買って手紙を書き、

見たい映画を見に街に出る。

欲しい本を読む。研究のための本を借りに

遠くの図書後までに出向く。

ライブに行く。

エッセイを書く、小説を書く。

旅に出る……のは無理そう。

暫く実家には帰らないけど次の帰省の際はベースの練習でもしてみようか。

 

 

 

このリストを勉強机の前に貼った。

 

そしたテスト勉強の逃避に、未来の自分へ手紙を書いてみたりもした。

 

元気ですか?相変わらず趣味はありますか?

どこに住んでますか?

……など在り来りな質問を20個書いた。

 

 

25を過ぎたら人生をよりリアルに捉えるようになるといい、みんな地に足をつけ始める。

 

さて10年後の自分はどうなっているのだろうか?

全く予想できない。

 

5年前の手紙には

ポケモン好きのままでいてください、

黒髪、薄めのメイクでいてください、

大学で友達作ってくださいと記されていたが

最後の項目だけは想像よりも沢山出来てるよ、と報告したい。

正直ポケモンにはそこまでのめり込まなかったし、

黒髪で薄いメイクが許されるのは美人だけよ……という言葉は飲み込んでおこう。

アッシュにしたはずの髪の毛はほぼ茶色だ。

ーー

 

風の吹き荒れる今日、また眠れない夜がやってきた。いや、寝ようとしないだけなんですけども。

 

ーー

 

先週の水曜日、詳しい事情は忘れたが恐らく英語の実力不足、準備不足に落ち込んだ。

専門の演習だったっけ。それに加えていろいろ失敗を重ねていたから余計に悲しかった。

 

 

もう全部投げ出してしまえ、と暴力的に投げやりになった。

逃避行しやるぞ、と逃げ込んだ構内のベンチに腰掛けて泣いていた。

 

視界がぐちゃぐちゃになってどうしようもなかった。

空はどんより曇り空。

その時ばかりは救いのない世界だった。

 

すると、隣に手を繋いだカップルが座った。

「ねえねえ、このままずっと手を繋ごう♡」

「え、恥ずかしい、他に人いるじゃん」

「えーー」

 

甘ったるい言葉は私の胃に受け付けなかった。

私のせいでコイツらは手を繋げ続けられないのか

とちょっぴりいい気味だったが、それと同時に申し訳なさを感じた。

 

こんな悲劇ぶった奴が隣に居合わせてもいいのか?

この人たちは恋愛ドラマの主人公なのに?

全く世界の枠組みが違うじゃん!、と? 、、

 

三者から見ると非常に滑稽な場面である。

私は落ち込んでいるという状態に妙な心地良さを感じ、カップルはお互いの好意を存分に伝えあって心地良さを感じている。

 

同じ場所にいながらも見えている世界は全く違うのだ。

 

カップルが去ってから笑いが止まらなかった、

自分の悩みがバカバカしく思えた。

なんで私はちっぽけな事で落ち込んでるんだろう、私もあの人たちのように気楽に生きよう、と。

 

人生はやっぱり喜劇かもしれない。

チャップリン

近寄れば悲しく離れれば楽しく見える、とは

正しくこれである。

 

 

林檎さんの声で再生されるんですけどね笑

人生は夢だらけ、を聴いて何度励まされたことか、

そしてこれからも頑張ろ〜

 

はよテスト終われ!!!!!

成人

半年以上前に遡るが大人になった。

派手なイニシエーションがあった訳ではないが、

怒涛の十代後半を振り返れば、あれはある種の通過儀礼だったのかもしれない。

なんてぼんやり考えていたら成人式当日になった。

 

成人を祝うために故郷に帰った。

数時間、特急に揺られてあの田舎町に降り立った。

何もない田舎町である。

 

父の運転する車に乗り、サニーデイ・サービスを聴きながら会場に向かう。

「あんたの音楽の趣味は本当に俺に似たな」

父はにやりと笑った。

「いや、それは否定したい。」

シュガーベイブを流しながらよくドライブしただろ?フリッパーズ・ギターもよく聴いてたはず」

「記憶にございません」

 

90年代の音楽に興味を持ったのはcapsule からピチカート・ファイヴを知ったことから始まるので、父親に絶大な影響を受けた訳では無いと主張したい。

とはいえ幼い頃からシュガーベイブダウンタウンをよく口ずさんでいたなと思い出す。

 

車内に響き渡る都会的な音楽と対照的に窓の外には田園が広がっていた。

 

平野の縁、境界線の向こうには扇状地が広がっており、遥か彼方、北方には分水嶺が見える。

この向こうは北国である。  

 

ここはからっ風の吹き荒れる平野。

乾いた大地を毎日駆け抜けていた高校時代が懐かしい。時に向かい風と闘いながら通学をしていたものだ。

 

風の強いこの地方では、制服のスカートの下にジャージを履いて通学するのはこの地方では珍しいことではない。埴輪スタイルと名付けられていたっけ。

 

ちなみにこの地方は埴輪を多く出土することでも有

名である。実は古墳の多い地域柄で、小高い丘があればそれは古墳である可能性が高い。

すぐ隣の高校の敷地内には古墳があった。

真偽は定かではないが、その古墳に入ると高確率で浪人するというトンデモ説が流布しているようだ。

ソースは弟。浪人が怖くて古墳には近寄れないとのこと。

 

回想に耽っていると、

いつの間にか車は田園地帯を抜け、市街地を走っていた。

 

着付け会場で振袖に着替え、会場から10分ほどの祖母宅を訪問し、挨拶をした。

 

 この振袖は母親のもので、なかなか良い着物であるとのことだった。

桐の箪笥のある祖母宅で着物の道具一式を保存してもらったので、この成人式に協力してくれた祖母には感謝してもしきれない。

 

 

かつて娘が着ていた振袖を孫である私が着る。そんな様子を見て祖母の目には涙が浮かべられていた。

本音を言うと、

5年前に亡くなった祖父にも見せたかった。

仏壇に向かい、成人したことを報告したが報告したいことはそれ以外にも沢山ある。

 

高校に受かったこと、大学に受かったこと、今の生活が満ち満ちていること。

 

私の高校入試直前で亡くなった祖父には併願校の合格を報告したのが最後であった。

第一志望の女子校に受かった時には亡くなって1ヶ月以上経っていた。

生きていれば、周りに言いふらすほど喜んでいただろうな、と母も祖母も話していたが、大学受験合格時にも言っていたような気もする。

兎に角、祖父には報告したいことが沢山あるし、相談にも乗ってほしいな、と内心思う。

 

学生時代、教会に通い詰め、英語を習得したという祖父は通訳の仕事をしたり、海外支社に務めていたりとまぁとにかく英語が堪能だった。

 

そんな祖父に私の英語を見てアドバイスしてもらいたいなとも思うが、教えるということには無頓着だった祖父はきっとうっすらと笑みを浮かべながら

Don't worry 、と一言発するだろうな。頼りにならないなぁって祖父に言ってしまうんだろうな。結局下らない会話に落ち着くのだろうけど、やはり祖父にもう一度会いたい。

 

会場に到着すると、止まるパトカー、スーツを着た若者が集まっている中たまにリーゼント姿の袴を着た男性がちらほらいるのを確認した。これでこそ成人式、気持ちはどんどん高まる。

 

振袖姿の女性は言うまでもなく美しかった。白い毛皮を見にまといながら、狭い歩幅で歩いていた。そんな歩き方がとても粋だった。

 

振袖、とは名前にある男性を通り振り向かせるような、歩く度に揺れる長い袖が特徴的である。未婚の女性しか着ることが許されない振袖というが、昔の服装は社会的な地位をこのような形で反映していたのだと思うと、洋服という文化はこうしたものを隠し、均一化するのだ、と考えると洋服は暴力的なほどに平等をもたらすものだなと感じた。貧富の差などは反映されるが、既婚未婚の差異が衣服で判別できなくなったことの功罪はいかに、。

尤も、和服よりも洋服の方が可動性に優れているのは確かだけども、やはり和服を着ると背筋が伸びるし、細やかな日本の精神を感じ取れるような気もした。

 

いろいろ文句は言ったが、結論は振袖姿の女性は美しい。(一切の論理性を感じないところは括弧に入れるとして、本当に振袖姿の同級生は美しかった。)

 

着ている本人は呼吸する度に締め付けられる帯や座る時に巻き込まれないように気をつけねばならない長い袖に若干、苛立っていたが晴れの日くらい良いだろう、と自分に言い聞かせる。

 

成人式のお偉いさんの挨拶はどれもつまらなかったが、本来であればあいみょんや髭男を弾き語りたいと語る県知事の挨拶を聞くと、形式的な挨拶は本意ではないのだろうと笑ってしまった。

聞く私たちの態度を見れば、手の込んだスピーチなどする気は起きないだろうと妙に納得してしまった。

自撮りしたり、おしゃべりしたりと好き放題している。誰も聞く気を見せてはいなかったが、野次を飛ばしたり壇上に上がるような輩はいなかったので、良いだろう。案外真面目じゃん、うちの新成人は、富士山のてっぺんから見下ろしたような死ぬほど上から目線だけども。

 

暴動などない平和な式典だった。

記念品を受け取るが、その殆どは啓発のためのリーフレットだった。まあこんなものだろう。

 

成人式に出席するために着飾ったのだと思うとがっかりするくらい、式典はとても呆気なかった。

 

そう思うと、成人式に否定的な意見が寄せられるのはごもっともだ。

まず、真っ先に来る反対意見としてあんなに高いお金をかけて振袖を着てわざわざ出席する意味とは何なのか。

 

 

当初私も振袖には乗り気でなかったが、

母親の着た振袖を娘である私が着ることに意義を見出すことは出来た。  

祖母の涙、母の笑顔を見ると受け継がれる振袖には子育ての終わりの象徴のようにも見えた。

 

母親も20歳の時、同じ街で同じ振袖を着て成人式に出たという。そんな母が就職し、娘を持ち、必死に育て、今に至る。そのフィナーレを飾るのが成人式だ。

子どもよりも親が張り切るのは当然だろうなと悟る。

 

他にも、スクールカーストを再び出現させる場である成人式にわざわざ出席する意味は無いという意見はかなりの人が思っているのではないか。

実際に成人式に出席できない成人も多数存在する。

 

私も本来であれば出席出来ない側の人間だからその気持ちは痛いほどわかる。

 

中学時代、急に理不尽な理由で苛められ、高校時代はとある集団に嫌われたためにアウトサイダーになっていた身としてはむしろ成人式、同窓会を欠席しなかったことが不思議である。

 

確かに、同窓会に出向いたら当時の思い出がフラッシュバックして微妙な気持ちになった。

 

中学の同窓会、私はとてもアンビバレントな気持ちだった。

半分以上が欠席し、出席しているのはスクールカースト上位の集団か、そうでなくてもコミュニティにきちんと属しているその他大勢だった。

 

狭い住宅地に引っ越してきた私はそのコミュニティに属することは出来なかった。非常に閉鎖的な世界で、明確に拒絶されているわけではないが、見えない壁によってその境界線の内側に入り込むことは出来なかった。よって、本音を言える友達は誰一人いなかった。ここだからこそ言えるけども。

 

会場に入る瞬間、タバコを吸って待機していたカースト上位集団が私を一瞥すると舌打ちしたことが若干気になったが、まぁこの人たちとは一生関わることは無いだろうから無視した。

 

本来は禁止されている酒類の持ち込みをしたり顔で行っているカースト上位集団が、ほろよいで顔を真っ赤にして騒いでるのを見て、心の底からダサいとと思った。

 

勉強は出来るけど、普通じゃない。異常だ。

ガリ勉、存在する価値はねえ。

死ね、消えろ。

 

心無い言葉を言い放った同級生は今、最低限ルールさえも守れていない。これは社会人として失格ではないだろうか?そこに誇りはあるのだろうか?

 

少なくとも私は今の私に少しばかりの誇りは持っているし、今の生活が大好きである。

辛い経験をどうにか乗り越えられた。

こんなことを言われてもどうにか踏ん張れた。

そして今ここに立っている。

でもそいつらはモラルすら無い。

 

幸せには色々な形があるのだろうから、そいつらの生活もある種、幸せなのだろう、と思う。

しかし、人の幸せを侵害した幸せは許されるのか?

 

中学在学時は人の幸せを侵害するような連中と関わざるを得なかったが、高校、大学と進学にするにつれてそうした有害な付き合いは極力避けられるようになった。

 

私はずっとそいつらを見返したくて頑張って来たが、結局人は一度レッテルを貼るとなかなか剥がせないものでついぞ見返すことは出来なかった。

とはいえ、中学在学時はそいつらの価値観に屈し、

自分は取るに足りない存在のように感じ学校を休みがちになっていたものだが、その人たちとは次元を異にして生きているのだから張り合うのも馬鹿馬鹿しい、意味がない、と悟れただけ充分である。

人の幸せを侵害する快楽はナンセンス。

これを悟ることが教養を身につけるということなのだろう。

ガリ勉は案外悪くないのかもしれない。

 

宴もたけなわだったが、ビンゴ大会が終わると同時に同窓会も終了する。集合写真を撮影し、解散。

私も流れに乗って会場を後にしようとしたその時、とある同級生がわたしの元に駆け寄り、こう言った。

 

〇〇大に行った、って聞いたよ。

すごいね、とても頑張ったんだね。

中学時代からずっと頑張ってたの知ってるよ。

 

それほど仲の良い同級生ではなかったが、しっかり私を見てくれて、そして認めてくれたのだ。

 

いやいや、受かったのはたまたまだよ、全然すごくないよ、大学にはもっと凄い人がたくさんいるから私なんて全然ダメ、と答えていたものの、内心ではもの凄く喜んでいた。

 

その人に別れを告げた後、人のいないところでボロボロ泣いた。泣けども泣けども涙は尽きなかった。

二十歳にもなるのに、こんなんじゃ恥ずかしいなところ思いつつ。でもとても嬉しかった。

ちゃんと認めてくれた人はいた。その事実がとても嬉しくたまらなかった。いやな思いをしてまで同窓会に行ってよかったなと思った。

 

今はすっかり堕落してしまったけども(笑)

 

そういえば、私がいじめられたきっかけはほんの些細なものだった。

 

クラス全員が一文字ずつ書いて学級目標を書こう、ということで割り当てられた字を丁寧にデコレートしたところ、思った以上に私のデザインが目立ってしまったから、というのが事の発端だった。

運が悪い事に、隣にはクラスのボス的な女子の文字が張り出されていた。

 

「え、、隣の文字のせいで私の字が全然目立ってない……誰?あんな派手な字を書いたのは?許せない!」

 

とのことだった。私の友達がそいつに密告し、私はその日からあだ名はパッパラパー、と呼ばれた。

いや、お前の脳みそがパッパラパーだよ、アホが😡💢と今なら思うがその時の衝撃は計り知れなかった。

 

何で?私はただただ自分の好きなようにしただけなのに!と憤慨していたものだなあ

まぁ、二枚舌だった私の友人も友人なんですけどね(笑)

 

今となれば、いい思い出よね。こんな理不尽な経験、なかなか出来ないと思うわ(笑)

この経験が無かったらここまでハングリー精神を持って勉強を頑張れなかったと思う。

 

全く人生ってのは永らえば、なんだから、と藤原清輔の時代と同じ、本質は変わらないものね、と感慨に耽る。

 

高校時代もやはりクラスの中心的な人物を敵に回していたから、嫌な思いは確かにしたけども、中学時代のこれがあったから耐えられた。

同級生の一部からめちゃくちゃ見下されてたけど、大学受験合格してからは手のひら返しされたような気もする。

女子高も女子高で独特な世界だったな

(遠い目)

 素直に母校を称揚する気には到底なれないけども、

親友に巡り会えたり、新聞制作にのめり込めたし、勉強も頑張れたし、良い時代だったんじゃないかな、高校時代は。二度と戻りたくはないけど!(笑)

 

大学入って、本音を打ち明けられるような良い仲間に沢山出会えて本当に幸せだなあと地元戻ってより強く思えた。

確かに今は弛緩しきってるけど、もう一度踏ん張ってまた頑張ってみよう。

 

そう、来週にはレポート提出しなくてはならないのだ。そうやって日常に戻らねばならぬ、ハレとケは地続きにある。

 

……

賛否両論ある成人式。

出席することに抵抗はなくはなかったが、

胸張って出席出来て良かった。

まるで過去と決別できたような気分である。

 

これからも人生は続いていくので、いつまでも感傷には浸ってられないし、リスタートを切ってベストを尽くせるような人生を歩んでいこう。置かれた場所で咲くぞ!

最後に。

両親や友達にはやはり感謝してもし足りない、

この人たちがいなかったら今の私はいなかった。

綺麗事抜きですよ、もちろん。

 

本当にありがとうございました。

 

丁寧な暮らしなど

眠れない夜がやってきたら丁寧な暮らしを垣間見るのが私の習慣である。 

インスタグラムで

#丁寧な暮らし

を追う日々。

 

 

丁寧な暮らし、欺瞞に溢れているとして私の

相容れない概念であるが、心の奥底では憧れる気持ちは、ある。

 

今日は壁にミモザの花を生け、パンケーキを焼きました。アロマを炊いていい気分。

 

そんなキャプションを添えてインスタグラムに投稿するのだろう。

 

朝は自然光のような目覚ましで目を覚ますのだろうか。

夜はバルコニーに出て星座を追うのだろうか。

秋には紅葉狩りに出かけ、落ちた紅葉を栞にするのだろうか。

冬にはかまくらの中にキャンドルを置いたりするのだろうか。

春は萌え出る生命の息吹を部屋に取り入れるためにラナンキュラスの花を育てているのだろうか。

夏はステンドグラスのような容れ物に入れたゼリーを手作りするのだろうか。

 

自然とともに生き、そして小洒落た生活を送るのだろう。

きっと自然の彩りを生活に取り入れていることだ…

 

丁寧な暮らし、案外悪い奴じゃないんだな…

 

とはいえ、丁寧な暮らしは欺瞞の匂いが強烈。

写真の背後にある現実は決して丁寧なものじゃない。写真を撮るために縁取られた生活、実は丁寧な心ではなく、生活の豊かさを外部に発信したい自己顕示欲もあるのではないか?とへそ曲がりな私は思う。

 

ただ…

カネコアヤノの歌を聴くと丁寧な暮らしを志そうとも思ってしまう。

どっちなんだよ笑というツッコミはさておき。

嫌い嫌いも好きなうちなのは真理、

好きも嫌いも表裏一体なのである。

ーー

 

今日は酸っぱいぶどうの1日。

ずっと思い描いていた目標を諦めた1日だった。

また新たに目標を立て直さないと弛緩してしまいそうなので、とりあえずテストに向けて頑張らねば…

新年早々災難であった。

 

今年1年どうしようかなって思ったけれど

短編もしくは紀行エッセイでも記そうかと思う。

おそらく就活もスタートする1年になるかと思うけど、コマ数は減り、サークルも引退するので随分と自分の時間が増えそうな予感である。

 

バイトを増やして貯金して

どこか旅にでも出ようかな、と思った。

 

 

明けましておめでとうございます

 

f:id:moekie:20200102100245j:image

新年らしい写真がないので

昨年訪れたマルタの独立記念日の写真です。

 

明けましておめでとうございます!

今年もよろしくお願いします。

 

年越したという実感がないです。

まだセメスターが残っているということに絶望してます。早く4セメスターよ、終われ。

(いくつかキツい授業を登録消し忘れた)

 

 

 

2019は忙しい年でした。

これでもか!というほど予定を詰め込み

頻繁に体調を崩していましたが、

今年は余裕を持って生きたいですね。

 

上半期は某委員会に尽力するとして、

引退後はいろいろ極めようと思います。

 

今年で引退か〜とか感慨深くなる間も無いほど

年度末あたりまで大変そうですが、後悔ないレベルまで達せれたらなあと思う。 

 

勉強、ですがまあ今年はとにかく年度終わりまでに目標達成しなきゃならないので

兎に角、年度末までは各方面頑張らなきゃ、、

この修羅場を乗り越えたらご褒美沢山用意しよ〜っと!

 

 そんな暇があるかどうかは知らないが

今年は遠征したい!

とかいいつつも去年、フェスのために金沢遠征したんよな〜そういえば。

 

今年は関東方面のフェスに行きたい(実家から遠いんだわ、どこの会場も)!!!!!ビバラかグリーンルームフェス行きたい(なお、スケジュール的に行けなさそうな可能性大)

去年Suchmos行けなかった後悔引きずってるんですけど早速ライブハウスSuchmosの日程が合わずもはやこちらも絶望的(そもそも倍率高いから無理だった説もある)

 

あと、もう20歳だし中田ヤスタカのクラブイベにも行きたいな〜Capsuleの現場に最近行けてないし

 

Spotifyがオススメしてくれるお陰で音楽の幅が広がったとは思うけど、あくまでこちらは受身なので

自分からいろいろディグって新たなジャンル見つけたい。 

海外のラップ、R&Bあたりもまだ未開拓だからね

 

趣味合う人々のオススメプレイリスト見せてもらったら知らないアーティストばかりでヒェェとなったので、いろいろディグろう。

 

 

あとは美術展行ったり映画見に行ったりして

感性を養いたいし、教養を深めたい。

研究室にも新しい代が入ってくるので身を引き締めねば。

圧倒的に読書量が少ないのでKindle等も活用しつつ様々な文献に触れねば、、!

去年は日本語訳に頼ってばかりだったので今年は翻訳版より原典を読むようにしたい。英語ォ😇

 

とりあえず、しっかり経済的基盤を作り、いろいろ手を出しましょうってことですね。

まずはお金が無いと活動できないので……

オタクは簡単にお金が吹き飛ぶので……

 

去年、短期留学もあって活動範囲が広くなり様々なバックグラウンドを持つ人たちに巡り会えたので

良かったです、今年も期待。

色んな人と関わりつつ、(上半期は委員会も)趣味なり勉強なり頑張ろうと思います、!(趣味は頑張らなくても頑張れるんだけどね😇)

 

年初めなので意識は少し高く!

そして実り多き1年になることを期待してます!

 

本棚から発掘される青

2019年の終わり、すなわち2010年代の終わりということを意味するが、

どうも実感が湧かない。

ゼロ年代は物事の分別がつかないまま終わったという印象で、次に来る2010年代は自我の確立のために奔走したディケイドというわけだが、10年代を俯瞰したとしてもなかなか言葉にはしがたい印象がある。

共有する歴史として10年代は震災やら不況やらでなかなか明るい時代とはいえないだろうし、個人的な時代としても疾風怒濤の学生時代を過ごした

(小学校高学年~中学校の時期は学生生活面でいろいろと大変だった)

わけではあるけれども、やはり10年代は人生を決定するうえで大切な

時代だった。

 

こうして大学で文学を学ぶという道に達することが出来て良かったなあと

こたつで本を読みながらふと思った。

ーーーーーーーーーーーーーー

 

帰省してやることといえば寝ること、そして懐かしのものを掘り返すこと。

心理テストであなたの思考は過去思考ですね、って診断されたけど

こういうところを示すのね。

今日も部屋の本棚を掃除していたら中学生のときに夢中になっていた小説を

掘り返してみた。

 

それはエンデの「はてしない物語」だった。

いつだったか忘れたが、長野の黒姫を訪れた際に、

童話の資料館に立ち寄りエンデを知ってから、独特な

世界観に魅了されたものだ。

 

虚無が迫る空想世界に冴えない少年が立ち向かうという

ストーリーラインだが、登場する人物、世界が

好奇心をそそること!

わくわくしながらページをめくっていたのを覚えている。

中学時代、担任に提出する日記に

「昨日は丸一日『はてしない物語』を読んで過ごしました。』

と記したら

「それはよかったですね。それで勉強はしたの?」

とコメントが返ってきて悲しかったのを覚えている。

本を読む時間があれば勉強しろ、とかなり悲観的に受け取ったものだが、

今になって考えれば非常に理不尽なコメントである。

日曜くらい本を読んだっていいのに。

今や読書は論文のために必須となるとずいぶん恵まれた環境にあるのだと、、

思う(まあ、こんな意識高くはないんですけど実際は。締め切り直前に本を

借りてオールで月曜の朝…みたいなダメ人間になってしまった、、)

 

ひとつ印象的な箇所があって、

韻文で話しかけなければならないシーン、

すなわち主人公は韻を踏まなきゃいけないとなった場面だが、

(韻文で話しかけないと応答できないという人物が登場する)

 

今思えばそれラップぢゃね?ラップバトル仕掛けられてね?(突然のギャル)

 

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日本語というのは韻を踏みにくい言語で、

英語の詞を日本語に翻訳する際は非常に大変だという。

まあ、日本は七五調で生きてるもんね、、、

 

日本語でラップしている人のすごさに感服。

することもなく退屈なので、ひたすらラップを聴く

昼下がり、徒然年末。

久しぶりにラップの界隈ディグれて幸せだったなあ~

この間聞いたBASIさんもよかったあ、

2020はもうちょっとそのあたり詳しくなるぞ!と意気込む。

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フェスの筋肉痛が今日来るという悲しみ。老けたのかな?

休憩ほとんどせずに12時間以上立ちっぱなしは本当に良くないな

 

いや!でも!本当に行ってよかったと思えるラインナップだった

来年も貢ぎます

今年一年めちゃくちゃある種のオタ活が出来て本当に良かったです。

音楽にお金を注ぐことは良いことですね。

 

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私の勉強机が弟のものになったのだが、

弟の読書量が既に負けていて悲しい。

ジャンルも幅広いし、話をしていても敵わないと分かる。

数学、経済学、哲学、中国哲学…ざっと本棚を見ただけでこれの幅広さである。

弟から本を何冊か借りて読んでみたものの難しい内容が多い。

高校生でこれ読めるのか?と疑問に思いながら。

 

ほんとうに統一性が無い記事です