魂がよごれる、と呟いた。
言語が乗っ取られ、魂がよごれるのだと。明言することは避けるが、この数年間、言語使用が特定の文脈に特化していた。
…ここまで書けば、何のことかお分かりだろうが、まぁこの数年間、キャリアという言葉に内包される漠然とした絶望感に打ちひしがれていたが、ようやく、実態が見え始めていた。根無草ではなくなった。渡り鳥であることを得意げにしていたのに。所属なき不安は、いつまで経っても解決しない。
自己に対して、これほどまで主張していたのは明らかにアレに対するアンチテーゼである。もはや、アレが必要なくなったため、ようやく創作的な営為に注力できるようになった。
さっそく、インデザインを起動し、zineの制作に取り掛かる。わたしは何かを作るという衝動に動かされていたが、ここ数年はその光が消えかけていた気がする。なんというか、何者かにならなければならないという強迫観念は私の思考を捕縛するのに十分だった。わたしは何者かになりたくて、作品をつくったが、あまりにもお粗末だった。
組織に入る。わたしの気持ちは楽になった。渡り鳥は不安なのだ。夢を語るのはたやすい。それでも、実行に移す不安はないのだろうか。回遊魚や渡り鳥になること、わたしはできなかった。望んだけれど、向いていなかった。
郊外が好きだ。私は郊外にある光を集めるために、生きているのかもしれない。生まれた街に行った。ビルと木々が密集していた。そんなところで私は生まれた。国道の音が聞こえる。
離れたくなかった。帰りたくなかった。わたしの帰るべき家は、そこにはなかった。それでも、帰るべき家を探して、のぼり列車に乗った。わたしはそこに留まりたかった。いくら朝の人混みがひどくても、わたしの根源はそこにある。綺麗なタワマンと排除ベンチが見える。それでも、わたしの故郷なのだ。
愛について考えたと言われた。
奇遇だね、わたしもちょうど考えていたところだよ〜と言った。わたしは愛に対して懐疑的すぎたのかもしれない。プログラムされたレールはただしいのかわからない。この文法では、愛について語られない。とても惜しいことかもしれない。