Naegi

逍遥

居場所を移すということ

あのね、という走り出しで走ろうとすると、なぜか調子が出ない。あのね!という接頭辞(?)は使い古されていて、あまり好きではない。が、話すときは無意識にあのね、と使ってしまうらしい。じゃあ、今回も「あのね」で始めるとするか…。話すように歌う(J.Y.Parkがよくいう話)ならぬ話すように書くために。あのね、とてもいま、忙しいんだ。

 

こんな深夜に何を書いているんだ、私は。近況?あまりにも処理すべき案件が多すぎてバタバタバタバタ、追いつかないよ〜という感じ。本屋さんを好き勝手に巡っていたら、日頃の煩雑な手続きも忘れられたけれど、電車に乗って家に帰った途端にタスクの山が迫ってくる。

 

To doリストを書くこと、計画を立てることが苦手。意外と言われるけれど、私は衝動的に動く人だ。物もよくなくす。そういうタイプの人に、就職に伴う引っ越しは辛い。やるべきことが山ほどある。

 

そして、何か一つを徹底的に調べたがる性分なので、めちゃくちゃ疲れた。スマホ依存気味、思考が全然できていない、目の前に飛んできた球を打ち返すだけ…みんなよく乗り切ったよな、この面倒な手続きを!転勤族の人たちを尊敬している。

 

一つのことが気になると、心が休まらない。この脅迫的で衝動的な性分は引越しに向いていない。何かとやらかしてしまう人間なので退去費用がどれくらい嵩むのか分からない。ってか引っ越し代高くない?初期費用もすごく高い。相場がどう、とかの話じゃない。そもそも、高すぎるのよ。何もかも。

 

居場所を移すということ、それは心の置き場所を移すことでもある。心が休まらない。一旦、始めてしまった片付けは、全部綺麗にするまでは汚い。片付け始めが一番汚い。そんな感じで事務的な作業がとっても苦手なのに、なんとかやっていったおかげで、電話で話すのが苦痛じゃなくなった。何も考えずに、業者に連絡できる…オペレーターさん、丁寧にありがとうございます。私ができることは、クレーマーにならないこと、でも愚かな消費者にならないこと、でもある。

 

卒業旅行ってすごい。新生活でお金が吹っ飛ぶというのに、なぜ旅に出る?嘘です、ちゃんと旅に出ます。なんとかします。

 

卒業旅行って金銭的にカツカツにならない?貯金が苦手な私だから?引っ越しは本当にお金が出ていくので、卒業旅行でパーっとする勇気はないな。もちろん、旅には出るけどね。それなりにかかるけどね!心は穏やかじゃないけれど、私の大好きな場所に行くんだ〜。

 

ここでTips、可能なら卒業旅行は卒業シーズンじゃなくて夏休みシーズンにしておくとよいぞ!なぜなら卒業シーズンは忙しく予定が毎日埋まるような状況だし、何かと物入りな時期なので、心穏やかに旅には出られないのです…。

 

でも、就職できるのは本当に嬉しい。自分でも信じられないほどに。今までは家族に支えてもらっていたので、心の奥底に罪悪感があったのだけど、ようやく自立できるという嬉しさがある。もちろん、そんなに贅沢できるわけではないけれど、自分の稼いだお金で生きるということが心の底から嬉しいのだ。ちゃんと働けるよう、手続き頑張りますの一言に尽きる…。まずはちゃんと、手続きを終わらせます……

 

 

2024

年が明けた。修論を出して郷里に帰って、また戻った。この土地での暮らしも、もうすぐ終わる。6年住むことになるなんて思いもしなかった。長い。

 

地元から大学に行くには、早くても6時間。長旅だ。よくこんな時間をかけて試験を受けたな…と数年前の自分に感心する。

 

年末年始、胃腸を壊した。テレビは暗いニュースを流す。それを聴きながら、横臥したり、トイレに行ったりしていた。

 

数字が伝える事態の大きさ。人間は数字では語り得ないものだ。報道は数字で悲惨な状況を語る。言葉さえも語りつくせないというのに。カメラロールをさかのぼり、数年前に現地を訪れたときのことを思い出した。海鮮丼の店の人たちは無事だろうか。

 

壊れた胃腸を抱えながら、現地で胃腸炎になっている人はいないだろうか。ふと考えた。インフラが止まってしまった状態で病に罹るということ。人間の尊厳が脅かされる状態だ。

 

いまの私ができることなんて募金くらいしかないけれど、一刻も早く事態が収束することを祈っている。

 

 

修士論文も充分にに書けたとはいえないけれど、もういいやという諦念が芽生えた。論文を書くことは難しい。命を削ることだ。私はもう限界を見た。あれほど体調を崩したのだから、もう暫くは論文を書きません。機会があれば、一般向けに書籍化してみようかなと思うくらい。テーマは面白いと思う。14万字。一般向けに本にするなら、いくらでも書くよ。論文の体裁で文章を書くのが苦痛なだけで。何でだろうね、自分の文章の下手さ加減とか、論理が破綻してることとか、そういうことを思ってはため息をついていたよ。

 

今年のゆるやかな目標は、愛に基づいて生きること、です。冷笑から離れること、でもある。冷笑で結束を深めない、愛によって結託すること。ここ数年の反省だが、私はかなり冷笑に寄っていた。冷笑って楽だもんね、他者の瑕疵を指摘するのって、何かを生み出すよりも楽だから。

修士論文で産みの苦しみを味わったから、もう冷笑しない!誓う!

 

時代は愛ですよ、陳腐な文句だけどね。

 

消費を自己目的化しない、も追加で。胃腸を病んでから、食べる量が減った。美味しいものを食べること、お酒を飲むことがしあわせだと思っていたのに、裏切られた気分がした。でも、案外食べなくても幸せだなと気づいた。修士2年で体重は8キロ増えた。そろそろ、食に気をつけるフェーズな入ったのかもしれない。消費に拘るのもやめよう。

 

逍遥の旅に出かけるのが今年のひそやかな楽しみ。消費に生き急がず、ゆるやかに伸びやかに人生を謳歌するのだ!まずは修了を祈念しよう。

お願い、修士号をください…!今年が良い一年になりますように、短冊に書いたことにする。

手紙

三つ子の魂百まで、好きなものを思い浮かべればだいたい、幼少期の趣味に還元される。

久しぶりにポケモンのダイパシリーズのBGMを聴いていたのだけど、私がソウルやR&Bに関心を持ったのって、ダイパの音楽が大きい気がする。

216ばんどうろ、228ばんどうろのグルーヴが入口だった。

 

修論は書き終わった、推敲したら初歩的な誤記が多すぎる。あとは、先行研究のレビューをもう少し丁寧にしなければならないので、手元にある文献をきちんと読み、もう一度まとめる。自分の研究の立ち位置をより明確に書くことで、終わる気がする。長い旅だった。

 

他大学から来た先生の話を聞き、私は大学教員という仕事に関心があるんだな〜と改めて思う。ただ、食べることに困りたくないのだ。私の研究は既存の科目に当てはめられるものじゃないし、語学もできないから担当科目もかなり限られる。博士号を取ってもいないのに要らぬ皮算用だけれど、でもTAの仕事がとても楽しかった。この気持ちを忘れないように生きようと思う。在野から頑張りたいね。修士論文には、全然納得がいっていないのが救い。

 

 

 

好きなアーティストのライブに行った。音楽への没頭っていいね、気持ちがクリアになる。浄化された気分。歌うことを使命として生まれたきた人たちは、いる。

 

ばったり会った人に、予定があるから授業に出られない(履修登録していないので問題はない、潜りでもないが)、 今日はもう研究しないと話した。大事な人にでと会うのかと思われたかもしれないが、私は私で""救い""を求めて、都会を逍遥した。それほど好きでもない都会に、だ。

 

本当に良かった。羊文学ありがとうね。

ニュ〜アルバムのコンセプトがだいすき。

究極のセルフラブ。みんな、セルフハグして自分を大事に生きよう、自分の内なる声に声をかけてあげようね。無理しないでね。

 

あたたかくして、良い年末を過ごしてね。

 

くもり

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青空のような曇天。

 

修論のプレッシャーで、毎日歯軋りしているらしい。おかげで歯がじんわり痛む。さいきん歯科医に行って異常がなかったから、虫歯ということはないだろう。数ヶ月前にレントゲンをとったら歯軋りの傾向があると言われて、痛みが増すようだったらマウスピースをつけたら?と言われた。

 

2023年を振り返る。学びの多い一年だった!

修行の年といえばよいだろうか。親しい人たちが上京したこともあって、孤独感はちょっぴり増したかもしれない。就活でそちらの方に出向くこともあったから、最初は気づかなかったし、上半期は親しい人と東京で再会することも多かったけれど、いざ大学に戻ってみると親しい人がかなり減ってしまったことに気づく。大学が好きだったのは、親しい人のおかげだったのだ、と遅れて気づく。

 

こもって研究することが多く、塞ぎ込むような気持ちが続いたけれど、そのぶん研究がなんたるものかつかめてきたきたし、人文学のおもしろさがわかってきた。当分、退屈には困らないだろう。退屈をやり過ごす方法を体得した。孤独とはなにものにも代え難い経験なのだ。ライフステージに関する話をよく友人とするようになったが、幸い、そのでっかい話に呑み込まれている感が全然ない。修論のことばかり考えているから仕方ないのかもしれないけれど、リソースが埋まっていることはある種の幸運なのかもしれない。

 

2023年といえば本当に旅だよ!と語りたいが旅についてはすでに述べている。なんてことだ。本当に今年は旅に救われた一年だった。来年からは、従来の旅はもちろん、旅先で何もしない旅もしたい。近場でいいから、ほんとうに何も支配されない旅がいい。ゆっくり学生時代の振り返りをする旅にでも出かけようかな。私が旅に出る理由なんていくらでもある。

 

 

ここ数ヶ月楽しんできたオーディション番組が終わりデビューメンバーが決まった。喪失感だ。夏はアメリカを舞台としたK-pop オーディション番組を見て、秋はあの大きなガールズグループオーディション番組を見た。しばらく投票してきたので、もう投票する機会はないのか…と少し寂しい気分、でも追っていた子ががデビューしたので嬉しい…!というか、出ていた子がみんなそれぞれ魅力を持っていて、かなり箱推しに近い感じ。

 

今まで推しという概念と相性が悪く、特定の個人をアイコン的に崇拝することが難かった。でも、投票期間中は毎日投票していたから不思議。

 

感動をありがとう。

 

それにしても、木村カエラさんって本当に素敵な方だな。練習生にかける言葉が沁みる。Perfume木村カエラさんが発掘したといっても過言ではない。なんて…素敵で…ありがたいのか!ここ数ヶ月の希望です。来年になって、諸々落ち着くまで、希望を持ち続けたいね。

 

歩く人

この曲を聴けば世界がまるきり変わってしまう。

そんな感覚を失ってきている。この音楽を聴けば無敵。どこかで聞いたことのある文句、というか広告代理店が好きそうな構え方だが、音楽で心を躍らせる感覚を失せている。修士論文、就職がものすごく恐ろしい。修士論文という、巨大な敵にいのちを吸い取られている気がする。あと一ヶ月もないけれど、修士論文を出し終わった後も慌ただしい日々が続く。居場所を探さねばいけないの。不安でご飯を食べながら涙が流れてきて、どうしようもなかった。

 

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閉じこもってはいけない、と思って紅葉を見に行った。遠目で見れば桜に見えなくもない。

 

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枯れる寸前の木の輝き。修士論文も、そろそろ終わりそう。夜明け前が一番暗いのか?はたまた倒れる前の断末魔か。

 

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テート美術館展のために、シテ島みたいな中洲へ。今回のテーマが光だったから、見終わった後も、ずっと光のことが念頭にあった。ミーハーだけど、水面の光を追って帰った。

 

塞ぎ込むような毎日、誰かといても寂しい、そんな時は1人でいよう。孤独を愛そう、そんなことを思って逍遥する。私は、歩く人でいたい。

 

すこやかな12月 / 2023の音楽と景色

論文執筆で命を削っている。

修論の文字数が10万字を越えた。

中間発表の資料をうまく繋ぎ合わせているので、一から書き進めているところは少ない。とはいっても、時間との闘いに焦燥を感じざるを得ない。11月はずっと体調が悪かった…。博士課程に進んでいたら、風邪が治らなかったかもしれない。良かった。

たしかに、今回の論文では博論のための土壌づくりができていると感じる。もう少し調査を進めれば、査読付き論文が数本書けそうな具合。でもこれ以上研究を続けたら体を壊しそうなので、諦めます。潔く。

 

そんな感じで12月がやってきたのだが、12月も相変わらず低空飛行を続けている。失われた体力を求めて。

 

書くことへの体力がなく、思いついたことが通り過ぎる日々が続いた。体調が悪すぎて、論文以外のことにまったく集中できない。アルバイト中も上の空。病欠で休むし、来てもぼーっとしているので、周りの人の顰蹙を買っている。それ自体には気づいているので、家に帰って沈み込んでしまう。

 

最近のことを思えば暗い話題が続くので、1年の振り返りをしよう。

まずは音楽について。

ちょうど10日くらい前にSpotifyまとめが出たので、これを参照して振り返ろう。

案の定、NewJeansをいちばん聴き込んでいたけれど、ほかのアーティストは去年と変わりがない。PerfumeCAPSULE、パソコン音楽クラブ、KIRINJIと続く。三つ子の魂百まで。

 

個人的名盤はSummer Eyeの『大吉』。その中でも、「失敗」は私のバイラルソングとなった。塩屋の旧グッゲンハイム邸で聴きたかったな。垂水の海岸線とサマアイ曲は、合う。ライブのロケーションも最高なんだよ。ceroのライブと被ったので断念。

 

 

満場一致でceroの『e o』もベスト・アルバム。これは古典になるよ。冬になって分かったことだが、このアルバムは冬の深夜が最も似合う。暗闇のなかの焚き火のような光を与えてくれる。

 

今年のよかった現場を書き出すと、Ginger Root、カネコアヤノ、cero

ceroについては、既に記事を書いたので省略するね。

 

長年の願望成就という意味でGinger Rootとカネコアヤノはベスト・現場だった。Ginger Rootについては、2020年の引きこもり生活を彩ってくれたアーティストなので、感無量だった。太平洋を越えてくれて、ありがとう。シティポップを作ってくれてありがとう、と感謝して向かった。が、箱を間違えて遅刻した。でも、Ginger Rootの演奏には間に合った。大好きなweatherやってくれてありがとうね。フワちゃんもストーリーあげててよかった。大好きな二人だよ。

 

カネコアヤノについては、本当に「救い」だった。就活でメンタルがどん底だったので…。ゆがんだ金属音に包まれた瞬間、私はライブに来たことを実感した。ライブって、こうだよな…とずっと考えていた。小さな体躯から、炎があがったように思った。私はかつて、火花と形容したけれど、火花どころではない。炎を見た。終演後、放心状態で晩ご飯を食べた。よい思い出だった。

 

次は、散歩について。

今年はとにかく歩いた。なんというか、学生生活ではじめて孤独と向き合えたという意味で、散歩は外せない話題である。孤独といっても、isolationではなく、
solitudeという意味の孤独で、人付き合いのしがらみのなさ、自由を謳歌した。社会に出る前の、ぜいたくな時間だった。もちろん、今年はけっこう、落ち込むことが多くて、修行のような日々がつづいたけれど、振り返ってみれば、案外わるくなかったと思えるような1年だった。私を支配するしがらみ、思い込みみたいなものを、俯瞰できた。散歩によって、思考が整理されていったのだ。

 

大きな役目を果たしたのは、散歩だった。近所はもちろん、浜辺を歩いたり、森のなかを歩いたり。思索の旅に出かけた。

 

上野公園で花を愛でて、須磨離宮公園で「ばらの花」聴きながら薔薇を観察した。飛鳥山あじさいがきれいだったし、そのあと飛鳥山公園サニーデイ・サービスのジャケ写を再現した。もちろん、大好きな「あじさい」を聴きながら。須磨浦山上遊園で海原の青を堪能し、セミの声に耳をすませた。

 

友人を伴うときもあれば、一人のときもあったけれど、どれも素敵な思索の旅だった。

旅といえば、今年は移動することが多かった。就活が苦痛だったので、しっかり逍遥の旅にも出た。

 

9月は阿蘇と道東に行った。阿蘇の草原と、知床の水平線はいまもずっと、心のなかに豊かな広がりを続けている。なんというか、私がここに在る意味を感じさせてくれる旅だった。友人と過ごすなかで、なにが私たらしめているのかを実感したし、未知の光景に心躍らす感情こそ、私を作っているのだなと思った。そして、友人の言葉の一つ一つも覚えている。凪いだ天草の海を背景に人生の話をしたり、北海道の満点の星空を見ながら、神秘について語ったりしたこと。忘れえぬ人々、忘れえぬ光景である。

 

そうだな、あとは読んだ本について考えたいのだけど、あいにく気力を持ち合わせていないので、また今度。

 

ご自愛しようね12月。健やかに行きましょう。

大学で得たもの 救いたいもの

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大学で得たものを一つ選んで答えよ、と訊かれたら、こう答えるだろう。

ひとが書いたものに寄り添って議論しようとする姿勢、だ。成功しているかはともかくとして、議論の姿勢はこの6年間で身についたと思う。

 

英語圏ではprinciple of charity (思いやりの原理、と訳される)をもって議論することが前提となっている。重箱の隅をつつくような指摘ではなく、筆者の意図を汲み取る。曲解しない。(でも鵜呑みにしない)言わんとすることを受け止めて、議論を進める。仮想敵を作って攻撃する(ストローマン論法)は避ける。単純な図式に落とし込まない。

 

かたや論破や嘲笑の文法が流布するインターネット空間では、水掛け論が続く。インターネットの文法に呑まれないために肝要なことである。でも、現実には至る所に歪みがあるから、「建設的に」「対等に」「相手に寄り添って」論じられないこともある。感情があるから。

 

クリティカルシンキングには限界がある。これをなんとなく実感できたのも、大学の学びによるものだろう。クリティカルシンキングの授業を思い出す。「でも、これは感情論ですよね」といったコメントから、感情論という表現にはどのような価値観が前提とされているのか。感情より論理は上位にあるのか。感情は事実を歪める。で、事実って何?と学生の疑問は膨れ上がり、結論は出ないまま授業中が終わった。

 

こうした視点も捨てないでいたい。でも、どこかで自分の感情をメタ的に捉える時点もほしい。相手の言葉を受け入れたい。でも鵜呑みにはしない。こうした対立点の落とし所をうまく見つけるのが、学ぶということ、考えるということなのだろう。

 

🦉🦜

 

小さな本屋に、私の研究テーマ全開の本が置いてあった。この本屋の客で、もっとも興味を寄せているのは私なのでは?とありもしない幻想をいだく。単行本だったし、学生とって優しい値段ではなかったけれど、買った。いままで貰った謝礼をつかって。QUOカードや図書カードの恩恵を受けている…

 

大学に近い本屋だし、私よりも詳しい人はたくさんいるのでは…と気づいたのは、本を買ったあとだった。

 

本を救いたい、なんてありもしない使命感を覚えちゃったよ〜。ストローマンじゃなくて、ストロー使命?燃やしてしまえ、ストロー使命。勝手に物語を作るな!!!!

 

と一通り憤ったけれど、本を買った日の買い物袋を空にするのはたのしい。そして積み上げられる本の山…本好き🎶というほど本を読んでいないが、本屋にいる時の幸せは、誰にも渡したくない。NO BOOK NO LIFE。あれ、どっちだっけ。