Naegi

逍遥

chillと丁寧な暮らし

https://youtu.be/ZTTXhYPsUMA

yonawoの「矜羯羅がる」

いい曲です。

 

最近始めたことといえば

ベランダに椅子を出して読書したりコーヒーを飲んだり、音楽を聴いたりすること。

 

色々大変な世の中になってきたけれども

これをやった日の幸福度は非常に高い。

 

BGMとしてyonawoがめちゃくちゃに良い。

春の昼下がりから夕方にかけて、

ちょっとチルしたい時に

yonawoはぴったりである。

 

 

今日メジャーデビュー後初めてミニアルバムが

発売された。

落ち着いたら、yonawoの振替公演に出向きたいな。

 

桜が散る頃にChill。(最近ハマっている言い回し。くだらないけども笑)

 

SNSやニュースサイトがストレッサーとなる今日この頃、あらゆるもののデトックスを始めた。

 

SNSをチェックする頻度を下げたり、本を読む時間を増やしたり、部屋を丁寧に掃除したりと

何か悪いものを外に出し、内なるものを綺麗にしておく。これがライフハックである。

 

1月頃に、丁寧な暮らしをバカにした記事を作成した(言い方)が、丁寧な暮らしとは幸福度を高めるためのものだと気づく。

 

旬のもの食べる。

花を活ける。

朝起きたら、まずコーヒーを淹れる。

ヨガを毎日する。

 

少し前まで馬鹿にしていたものだったが

今ではこれに救われているなんて皮肉な事だ。

 

 

コロナが終わったとしてもこの習慣は続けていくと思うし自分を犠牲にするような忙しい生活は二度としないと決めている。

 

ああ、転換期なのだなと最近つくづく思うわけです。

 

先の見えない毎日ではあるけれど未来を憂うよりも

丁寧に今を見つめ直すことが大切なんだね。

いつの日か、この日々は終わりが来るのだろうけど、きっと常に未来を気にしてたら無駄にするだろうし、ひとつひとつを大切にして生きていたらきっと一生大切に出来るようなものが見えてくるはず、、。

 

コロナがなかったら忙しなく新歓を終え、

留学モードにシフトするところだっただろうがそこには落ち着きはなかったのだろう。

進路を選ぶ時こそ、ゆっくりと考えることが必要なんだろうけど、今その機会を得ているのだと発想を逆転したら、いいのでは、とね。

 

 

進路悩むね〜

 

9月留学は無理だし、かと言って来年の2月に行ける保証はない。仮にコロナが収束していたとしても

社会不安は残るだろう。きっとね。

そんな状態で勉強に打ち込めるのか?と考えると

学部生のうちの留学は出来ないように思えた。

院留学も選択肢として視野に入れるべきなのだろうけど、そもそも文系院かぁと躊躇う気持ちもあるし、2年+1年と考えるとキャリアにも大きく影響する。余程の目的がなければ、この選択肢は選べない。お金の問題もあるし。いや経済的な理由が1番大きい。

 

かと言ってやすやすと就活モードに切り替えられるのか?と思うとそれも難しい。

公務員?今から講座とるかどうか。

兼ねてからの願いを諦めて就職するのか???と。

社会人になっての留学はかなりのハードルがあると言うし、そもそも卒論もこの2年で煮詰めて、終わり、というのも未練が残る。

 

あ〜ベストな選択肢はどれなのかな

恐らくベターしかないのだろうけどね笑

 

今できるのは卒論の土台作りだよね。

突き詰めたい分野は徐々に見えてきたので

文献を集めなきゃ。

今はKindleとネット上のリソースに頼りっぱなしだ〜図書館(´;ω;`)って感じだけど笑

 

いろいろ課題も出ているのでそちらもやらねば。

時間はたっぷりある。

(と書くと、、本当に今の状況は恵まれていると思う。かつては喉から手が出るほど時間が欲しかったのだから。) 

 

まあいいや、個人的なことは。笑

 

明日も明後日もベランダでChillしてから

考えようっと。

 

薄手のコートも要らない程の日の午後

f:id:moekie:20200404234901j:image

 

桜が咲いていた。

世界はいつの間にか春になっていたらしい。

 

部屋の空気はどこか冷たく、まだ冬の気配を保っていたのでニットにコーデュロイのスカートを合わせるという格好をしていたものの、それは季節に逆行していたのたと気付かされる。

 

花粉症で換気を渋っていたために、あのワンルームはまだ冬に取り残されていたのだ。

 

家に残る、あの孤独は季節から取り残されていたの点にあったのだろうか?

ーー

 

日向に出ると、羽織ったスプリングコートすら煙たく感じるほどの陽気だった。

 

大学の並木道は家族や夫婦が散歩しており、芝生では子どもたちがサッカーをしていた。

本来ならば新入生で溢れかえっているはずの大学だが、市民の憩いの場としての顔を覗かせていた。

 

ーーーーー

桜が咲いている、との知らせを受け、今日は普段とは違うルートで買い出しに出かけた。

遠回りしたのは桜と新緑が見たかったから。

折角だから自転車は使わずに、徒歩で春の街を進んだ。

 

f:id:moekie:20200405000310j:image

 

報道を一切目にしていなかったら、きっとこの春はいつもと変わらない春なのだろう。

交通量には大した違いが見られず、散歩する人が行き交っていた今日は、ただの春の1日だった。

桜が綺麗で空気も温んでいて、少し土の混ざった匂いがして。去年と何も変わらない。

 

大学に辿り着くと、桜が満開だった。

目の前を歩く2人組が

「こんなに春が春だったって気づかなかった」と

桜の前でカメラを構えながら感慨深く話していた。

 

いつもこの時期は新学期に備えてガイダンスやらで忙しかったり、新入生歓迎に勤しんだりと春を体感する暇はなかったのだろう。

私の場合もそうだ。何事もなく万事通常通りだったならば、季節の変わり目を感じる余裕もなく、桜にピントを合わせることなどせず、ただの背景に過ぎなかったのだろう。

カメラロールを見ると去年の桜の写真がほとんど残っていないことがその証拠である。

 

ネットやテレビで流れる情報が全くもって現実味を帯びておらず、これは夢なのではないか?と思う毎日で、心は全く落ち着かない。

そんな毎日だからこそ、変わらぬ日常を目にすると

非常に安堵するものだ。

 

スマホの示す現実はもちろん現実であるだろうし、

危機感を持って行動をしなくてはならないものの、

日常は続いているし、季節も変わった。

 

なんだか、悲観しすぎていた気がした。

 

もちろん、この状況下では買い物や散歩以外の目的で外出はしないし、会いたい人に会うのも我慢するのは当然である。

 

でも、ちゃんと手元には、変わらぬ日常があるし、

季節も止まらないということを確認することでちょっと救われた気がする。

 

スマホの電源をoffにしてひとり散歩に出かけて、全身で春を感じるのもこの自粛生活の醍醐味なのではないか?とプラスに捉えることが出来た1日だった。

 

 

芽吹きの中の音楽と随筆

今日は久しぶりに気温が高かったので、

薄手の花柄のシャツを身にまとい、窓を少し開けた。

春の匂いがした。その中に含まれる花粉は

どのくらいなのだろう。

それは5分後に出たくしゃみが教えてくれた気がする。

 

春が始まった。

 

サニーデイ・サービスの新曲が春満載だったので

いっそう気分は華やいだ。

 

「春」のつく曲を検索しては聴く毎日。


never young beach - 春を待って (Live at NHK Hall

ちょうどこの時期に聴きたいよね~~~

陽だまりの中で聴くネバヤンほど心地よいものはない。

ホントだったらネバヤンの3/18行きたかったのだけれど

こんな時代だから仕方ない。

 

春らんまん、も良いよね

 


Happy End - 風街ろまん - 11. 春らんまん

 

 はっぴいえんどの春らんまんもこの季節に散歩しながら聴きたい。

 

歌詞を読むと日本語の美しさに気づかされるよね。

身近にある植物の名前を知りたいと思うような、そんな気持ち。

 

春はアコースティックな音楽を聴きたくなる季節でもある。

アヤノは春。(春はアヤノ、でもある)

CD大賞おめでと~~(;_;)

アヤノの花ひらくまでを聴いて散歩する午後は至高のひと時。

大学通りの桜を見ると蕾は膨らんでいる。

大学通りは夏の日差し、ならぬ春の日差しってやつです。

花弁がうっすら見えているようなとき。

花ひらくまであともう少しだと気づく。

 

春の音楽は植物の名前が多く登場しており、

植物園でも作ってしまおう!という気分になる(嘘)

 

そんな植物への憧憬はきっと梨木香歩の随筆から生まれたのだろう。

久しぶりに梨木香歩のエッセイを読むことにした。

 

 

春になったら莓を摘みに (新潮文庫)

春になったら莓を摘みに (新潮文庫)

 

 かつて筆者が英国で下宿していたときの回想を混ぜながら、

英国を再訪するエッセイである。

女主人のウェスト婦人の

「理解はできないが受け入れる」という考え方に

はっとさせられる。

この下宿にはボスニア難民やナイジェリア人など様々なバックグラウンドを

持つ人が住んでいたこともあって異質性というものに驚かせられる機会も多々あったが、ウェスト婦人は決してボーダーを引いて拒絶することはなかった。

 

最後の手紙に一抹の悲しみを覚えた。

同時多発テロ後の世界がひどく憎しみに満ちた世の中になってしまったこと、そして異質なものに対して不寛容になってしまったことを嘆いている。

この異質さを拒絶せずに、受け入れる社会はいつも、余裕のある社会でしか成立しないものだ。

世界はその寛大さを無くし、ますます余裕を無くしてしまったように思えて悲しかった。

その負の連鎖は今にも至るのだろうが、どうか社会全体で差異による悲劇がなくなりますように、と願ってばかりなのだがいつまで経ってもそれは机上の空論なのである。

 

やがて満ちてくる光の

やがて満ちてくる光の

  • 作者:香歩, 梨木
  • 発売日: 2019/07/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 これは2019年に出版された梨木香歩の最新のエッセイ。

今までの発表されたエッセイの総集編のようなものだろうか。

神学のこと、カヤックのこと、植物のこと…

筆者の興味の裾野は驚くほど広い。

決して自分語りに陥ることなく、客観的な視座を忘れることなく

みずみずしい筆致で紡がれたは読んでいて浄化されたような気分になる。

 

ウィリアム・モリスアイスランド紀行に寄せられたあとがきが印象的だった。

ラファエル前派展でフィーチャーされたモリスだが(なおモリス自身はラファエル前派の画家ではない)モリスの文筆に関してはあまり取り上げられる可能性は少ないのではないだろうか。

この、恐ろしいほど美しいというモリスの感想を実感を持って今に伝えるのが

梨木のあとがきなのだろうと思った。

北極圏の街は雪とカラフルな家のコントラストが美しいものの、空恐ろしい。

背後に迫った雪山のせいだろうか?

スバールバル諸島の写真を検索しては恐ろしくなるのはこのせいであろうか。

死と隣り合わせの恐ろしさ。

これを伝えているのが、モリスの紀行であり、梨木のあとがきである。

 

そして欧州でイスラム排斥の機運が高まった時に、標的にされないよう公共交通機関ヒジャブを外した女性に、

「隣に寄り添うから、ヒジャブをつけて」と助け船を差し出したというニュースが

ここに描かれているが、その草の根的な優しさ、というものも印象に残った。

そこには空虚な理想などなく、真のやさしさ、慈愛が描かれているようにも思った。

 

 

 

恐らく交換留学の話もなしになりそう。

5年で卒業するものだと考えていたから、そろそろ

就活についても始めないとなあとか思いつつ何もせず

朝からTwitterYouTube

こんな生活やめよ!と思うものの、この生活が一番楽しいのだ。

 

残りの春休みでやること

・髪を黒くする

・マッシュにする(失敗可能性高い)

・サイードオリエンタリズム読破

須賀敦子のエッセイ読む

ウェイリー版の源氏物語読む

・スラブ語について知る

 

この辺かなあ

守りたい、この生活。

文化は大切(主語がデカい)

 

今回はここまで。

非常時をフィクションはどう語りなおすかーceroの楽曲をもとに

最近、本屋の売り上げが伸びているというニュースを聞き、

改めて文化の持ちうる力を実感することになった。

 

最近、Amazonを覗いたらカミュの「ペスト」が在庫切れになっているとのことで

発送まで10日ほどかかるとのことだった。

疫病と人間性を主題とした文学作品、今だからこそ読みたいものねえ。

私はペストを積読のままにしているけど、読もう。

ボッカチオの「デカメロン」もペスト禍を逃れた時の話だし、

文化を紐解けばそこには疫病があるってことか。

そういえば、某大学の世界史ではまさに人と移動というテーマが

頻出だったから必然的にペストの広がりというのはよく触れた記憶はある。

極東で広がり、モンゴル帝国によって交易が活発になると同時に

疫病も蔓延したというアレ。

勉強したときは、そういう事実として受け止めていたが現代にも

同じような状況が起きるとは予想だにしていなかったな。

 

パンデミック、怖い。

デカメロンみたいに猥談でもしようか?(違う)

今日は文化の話をしよう。

 

いや、文化?話広すぎん?

というわけで音楽について語りましょうか。

 

ライブの中止が相次ぎ、小さなライブハウスは経営の危機に瀕しているし、

音楽で食べているひとも苦境に置かれている。

あーーー心が痛い。痛いよーーー

あくまでこっちは娯楽として音楽を享受しているのであって

もう無力だ、、、と心を痛めていたわけですが、

先日ceroの所属レーベルであるカクバリズム

有料ライブ配信を開始しました。

 

natalie.mu

 

これです。

 

視聴するのにあたって、1000円。

投げ銭システムもあるので、500円単位でアーティストを応援

できるという仕組みだった。

 

金曜日の9時からということで急いでカレーを食べ終わり、

パソコンとスピーカーを用意して待機。

一曲目のYellow Magusからもう涙出てきた。

 

もちろんパフォーマンスは最高なのは言うまでもなく、

やはりこれをお金を払って視聴できるということの満足感は

思った以上のものだった。

 

2月下旬、イベントの自粛要請が出されてからというもの

アーティストはオンラインでライブ配信を無料で行っていたが

どうしてもそこには背徳感があった。

本来であればお金を払って楽しむものなのになぜ、無料で

楽しめるのか?と。

 

いや~ceroの取り組みは良いと思ったので、他のアーティストも

ceroに続けて有料配信を続けてほしい、

まあ有料配信がないアーティストもCDを買うなど

支援の形はいろいろあるので、お給料入ったら好きなアーティストの

楽曲とグッズを購入したいな。

 

さて、今回はceroの音楽を考察してみよーというゆるっとした記事なので

さらっと読んでくれたらよろこびます。

 

今回のライブ配信では、Contemporary Tokyo Cruiseのツアーのセットリストが

ぎゅっと凝縮されてお届けされたわけだが、本楽曲は

2012年にリリースされたMy Lost Cityというアルバムに収録された曲である。

 

cero-web.jp

このアルバムの表題はフィッツジェラルドのMy Lost Cityから着想を得ている。

エンパイアステートビルから見下ろす恐慌後のニューヨークが印象的だが、この楽曲群

もある種のカタストロフィーに見舞われた都市の姿を彷彿させるという点ではオーバーラップする部分もある。

ビジュアルも萌黄色の霧に包まれた東京らしき都市の姿であり、失われた都市としての

東京が描かれている。

 

このアルバムは洪水に見舞われたもう1つの東京を描いているのであり、

ここには震災の影響が見て取れる。

(「マイ・ロスト・シティー」とか聴いてみるとそれは一目瞭然、リリースした年代も考えると余計に)

震災というテーマを東京という場所に置き換えて描かれており、

日常と都市の脆弱性という主題が見える。

以下楽曲の紹介をしよう。

 

「大洪水時代」では

東からもくもくと吹き出した積乱雲が押し流されて

長い雨で東京の街並が海になった

窓の外 水平線が引かれ 誰もかもがヒキコーモリです

あの娘 どこへやら

偽物の花を買って海に投げた

中央線がしぶきを上げた

旅に出ましょう 今こそその時

全てを捨て置いてお別れの挨拶どころか

まだなにも始まってはいやしないぜ

波が打ち寄せて 何かの燃えかすが 窓にはりつく

過去も未来も押し流されて

意味を失くした いくつかの約束が流れついた

黒いしぶきに足を浸して5つ数えて

やっと1人になれた 今、何かが始まった?

後戻りできないさ… どこまでも海は続いて

風がふいた…その時  *1

 

突然、洪水に見舞われた東京の姿が視覚的にも感情的にも

訴えてくるような歌詞である。

 

そして、前述のComtemporary  Tokyo Cruise は祝祭的な雰囲気で歌われているものの、

歌詞内容を見ると以下のようである。

 

幽霊船に揺り揺られ揺られ

辿り着く波止場はどこでも

ララバイ 奇妙な歌声に誘われ

暗礁のなかへ

(中略)

水平線が目の前に迫る 景色は変わっていく

サーチライト 照らし出す闇には

あるはずのない東京の摩天楼

いかないで光よ わたしたちはここにいます

巻き戻して       *2

 

これは洪水の後の祝祭のような音楽ではあるが、

歌詞は事態の不可逆性を悲しむようにも聞こえる。

最後、大合唱が逆再生されるのだが、声なき者の叫びのように聞こえる。

忘却される者と復興される街。その対比がこの楽曲には込められているようだった

 

街と街のあいだに

電車が走っている

家の中には 人々が

それぞれの灯り点けて 暮らしてる

 

それで一日は

朝と昼と夜があって読みすすめなくても

進んでいくと思ってた 

だけど

ぼく、まちがっていた

ぼく、まちがっていた

ぼく、まちがっていた

ぼく、まちがっていた

 

*3

 

優しいピアノとチェロの音色が印象的なスローテンポな曲だが、

ここには日常生活の優しさが印象的に描かれていると同時に、

ふだんはこの当たり前が流されているかのように、三拍子の音楽は伝えている。

 

しかし、急に音楽はペースを落とし、

「ぼく、まちがっていた」と何度も繰り返す。

ここの部分は震災を経験した聴き手には大きな共感を得るところではないのか。

 

そして、アルバムの最後に収録された「わたしのすがた」では

確信的なことを言う。

 

あーなんか いっさいのがっさいが

元通りになったようなこの街

あーそうか ほんの一年くらい前は

なんつーか 眠り込んでいたんだな

マイ・ロスト・シティー

あの日遠くから見ていた東京タワー

登り眺めたこの街に違和感

なにもかわらんとこが

なにより不気味で Feelin' down

シティポップが鳴らす その空虚

フィクションの在り方を変えてもいいだろ?

ときにHppyend

あるいは Surf' up

脆いからこそオモロい

(中略)

海がでてくる夢をみていた

あるはずない みたことない

誰も知らない パラレルワールド*4

 

ここに描かれているのはフィクションではなく、現実ではないだろうか。

これが発売されたのは2012年の10月。

恐らく震災から1年経ったころの所感が反映されているのだろう。

きっと東京の姿を見ても1年前と変わらず、同じ姿が広がる。

ここは前述のフィッツジェラルドの原作にあるエンパイアステートビル

姿を見る部分とイメージが被る。

 

カタストロフィーを一部的ではあるが経験したはずの街が、今やその証拠は

すぐには見つからない。

シティポップは往々にして街を美化して歌うが、都市の礼賛も

どこか空虚に聞こえる。

ならば、自分たちの音楽ではあるはずのない街をフィクションとして描きだし、

その不気味さの正体を突き止めてやろう、という話なのか。

この歌詞の途中、「Comtemporary Tokyo Cruise」のリズムが

再現されるが、その不可逆性と忘却をここで改めてフィーチャーしているのである。

フィクションだから現実から遠ざかるのではなく、ここでフィクションの洪水に見舞われた東京を描くことで、風化されつつある震災を描いたのではないか。

 

しかし、この楽曲群の正直な感想としては、

直球すぎてある意味炎上可能性をはらんだ曲ではないだろうか?というものが

第一に挙げられる。「不謹慎だ」とラベリングされる可能性だ。

 

事実、震災後は津波や洪水を彷彿させるような描写を含む作品は

自粛されていた。

例えば、クリント・イーストウッド監督の「ヒア アフター」は津波の描写が

含まれているため日本での上映は中止になった。

ja.wikipedia.org

崖の上のポニョも自粛されてた、という都市伝説は流れていたような

気もする。(記憶も曖昧だが)

 

2012年というタイミングだからこその作品なのか、しかしながらまだ

あの日の経験はまだ、過去の出来事として捉えられない人も

多くいたはずの年だ。

 

しかし、ceroはこう語る。

www.cdjournal.com

 

この記事から引用すると、

――震災が起こる前に歌詞と曲ができてたという話ですよね。ちょっとスピリチュアルな話ですけど、音楽が先を行くみたいなことってあるじゃないですか。「大洪水時代」を作ってみて、どう思いました?


高城 「ほんと、完全にスピった話になりますけど。その前に〈大停電の夜に〉があって。普通にロマンチックで、住んでる東京に近いんだけど、パラレルな、ちょっとだけ違うものが混ざってるみたいなものを作るのが好きだったんです。箱庭の配置を面白がって変えたりしてたことが現実っぽいものになっちゃって。計画停電とかやってるときに、この曲を聴いてたみたいなツイートしてる人がいて、“現実味を持って聴かれる曲になったんだな”とか思って。ちょっとしたSFみたいな曲だったのに、現実が寄り添っちゃったなと。(震災前に)〈大洪水時代〉もあったし、〈船上パーティー〉もあったんですけど、アルバム出すときに“震災のことを受けてできたアルバム”みたいに言われるのがなんかイヤだなと思って。でもそれから逃げて、手を入れて変えちゃうのも何か違うし」


――このままでいこうと。

高城 「はい。ちょっと話が遠くなってるような感じするんですけど、こないだ荒内くんが話してたことで。大林宣彦監督の『この空の花』っていう映画を観てすげー感動したんです。花火と爆弾の近似性みたいな話をしていて。打ち上げるか落とすかの違いで、構造も近いけど似て非なるものっていう。で、うまく説明できてるか分からないですけど、自分たちは花火を作ったんだと」


――なるほど。

高城 「地震を爆弾と捉えていいのかわからないですけど。三尺玉が打ちあがって喜んでいる人もいるけど、空襲を体験しているお婆さんとかはいまだに怖くて花火を見られない。そういう人もいると。このアルバムもそういうふうな聴かれ方をするかもしれないなって怯えたりもするんですけど、花火を作る人はそんなこと言ってられずに毎年作るわけで。感じ方はそれぞれですけど、自分たちはそういう感じで、ひとつ花火を作り上げたという」*5

 

つまり、このアルバムの曲は最初から震災を意識して作られなかったということである。妙に現実とオーバーラップしたからこそ、確信犯的にこのアルバムがリリースされたわけであるが、ここにはフィクションの可能性が示唆されている。

 

ここで引用されている映画にあるように、

ある人々にとってはトラウマを引き起こすトリガーとなるような題材も

扱い方によっては、多くの人の心を揺さぶる芸術作品へと昇華できる、という

可能性だ。

 

そして、インタビュー後半でも興味深いことが語られている。

 

――最後の「わたしのすがた」だけちょっと毛並が違う曲で。アルバムは意外な終わり方をしますよね。

高城 「本編は〈さん!〉で終わって、少し曲間をとって。ボーナス・トラックじゃないけど、違和感があるもので終わるというイメージはありますね。エンドクレジットみたいな感じはあります」

――そうした意図は?

高城 「他の曲はパラレル・ワールドというか、夢っぽい世界みたいな感じで書いてるんだけど、この曲だけ現実の目線というか。パッと目が覚めて、長い変な夢見てたなーってぼんやりしたまま街に出るイメージ。質感を変えたいというのがあったので、この曲は唯一荒内くんがミックスしてて、音的にも段差をつけました。恐いんだけどパラダイスのような世界が終わって、はぁーみたいな感じにしたかったんですね」

*6

 

ここのアルバム全体で語られた洪水の東京というものはフィクションであり、

妙な夢だと納得しながらも目覚める夢、というような曲として

「わたしのすがた」を置いたとのことだ。

 

ここで、示されるのが現実と少しずれるような、でもその描写から

現実のある出来事を連想させるようなものを示し、メッセージを込められるのが

フィクションというものだ。

 

先述の通り、震災後の自粛ムードは文化の分野にも波及し、、震災を連想させるような作品は忌避された。

 

それは直後の話であり、時間が経つにつれ、震災に何らかの形で影響を

受けた作品は増えた。その一端をなすのがこのアルバムであろう。

架空の都市で架空の災害を描いたものだが、作り手であるcero

聴き手が震災を連想することを想定はしている。

その想定を前提として、ある種の物語として別の世界を成立させることで

震災というセンシティブな題材を芸術品として仕上げているのだ。

先ほどのインタビューの言葉を借りると、爆弾を花火として描いているというわけだ。

 

これも非常事態とフィクションの1つの関わり方だと思う。

震災を直接的に描く作品も今後さらに増えるだろうが、

このように架空の災害を描くことで震災という出来事を

捉えなおす芸術作品もきっと生まれるのだろう。

 

多和田葉子の「献灯使」も架空の土地を題材としているものの

震災後のディストピアを想像させるし、後者に分類される作品のように思う。

ja.wikipedia.org

 

 

この時期だからこそ、この作品群は改めて読み直したいし、

ceroの楽曲には改めて考えさせられる。

 

なんと冗長な記事となりましたが、

今考えていることはぶつけられました。

別に学術的なことをいうわけでもなく、個人の所感を書いているだけなのに最後まで目を通してくれた人はありがとうございました。

 

それではまた今度。

疲れたので寝ます。

 

 

 

 

*1:cero「大洪水時代」より

*2:cero「Comtemporary Tokyo Cruise」より

*3:cero「roof」より

*4:cero「わたしのすがた」より

*5:この記事内容は上記インタビューより抜粋したものである

*6:同上

9

 

 

コロナ騒動もあって今年の報道は例年よりも

少なかったかもしれない、それでいても

9という月日が流れ、かつて小学生だった世代も大学生になったり、社会人になったりと震災から時が流れたことを報じるものも多かった。

 

私は東北出身ではないものの、比較的東北には近い地域に住んでいたため震災そのものは経験したと言えるだろう。

 

 

大きな揺れが襲った後の気味の悪い空模様、

非常階段をぞろぞろと歩いた光景は今でも思い起こせる。その日見た夢も思い起こせる。

スーパーに行くにしても、ピアノの練習をしているときでもいつ余震が起きるのか分からず、ずっと気を張っていた。

 

そして放射能という見えないものへの恐怖はたしかにあったし、計画停電や給食の停止など生活への

影響もそれなりにあったと思う。

 

当時、それなりに揺れの大きかった場所に赴任していた父の変わりようもとても印象に残っている。冗談の通じない父。乾パンを食べながら家に1人、祖母と電話したときには涙が止まらなかったという。

やっと家族のいる家に戻ってきたときはすっかり弱っていた。

 

放射能の懸念から学校は休校となり、することもないのでDSでゲームをしたものの、ただ事ではない状況下ではゲームにすら集中できなかった。

 

計画停電の時は、居間に布団を持ってきた。3月とはいえ、まだ冬の寒さは健在で寒さとの戦いだった。唯一携帯電話のあかりが希望だった。電気が復活した時の嬉しさも、未だに覚えている。

 

そして、3月も終わり4月には無事学校も再開。

給食も部分的に再開した。

5月にもなると震災のことも徐々に忘れていった。

故郷の街を覆っていた屋根上のブルーシートは姿を消していった。

その年にあった修学旅行も無事開催された。(行先は鎌倉。宿泊した旅館は海に隣接しており、保護者の反対の声も強かったという。よく開催したな笑)

 

そのあとも毎日は続く。

 

3月11日は校内放送が入り、黙祷を捧げる日となった。各々がその日の記憶を振り返り、そして祈る日。

 

とはいえ、その日限りのことだった。

 

未曾有の災害を経験したとはいえ、その時だけの記憶に留まり、そのあとの生活は震災は報道で目にするほどの影響にとどまった。

 

高校生の頃、Twitter上で同世代の子達が震災への想いを発信しているのを見て悶々としたの思い出す。

 

震災は自分語りのものじゃねえ、という風潮があったし、事実「当時私は小学五年生で……」から始まる類のツイートは忌み嫌われていた。

私の住む地域は、被災地ではないが被害はそれなりに受けた場所ということもあり、命に関わるほどのことでは無いが、大きな爪痕を残した出来事として捉えられていることが原因なのだろう。

とにかく私の所属していたコミュニティでは懐古ツイートVSアンチ自分語りの構図が繰り広げられていた。

確かに、様々な意見はあるだろう。

近しい人の命を落とした人のドキュメンタリーを目にすると、震災という出来事を軽々しく捉えられるものではないとは思うし、ただノスタルジーに浸るためのトリガーとして震災を取り扱うのは慎みたいとも思う。

ただ、私たちは被災状況が重かろうと軽かろうと

その記憶を残す義務はあるのではないか?

あの社会不安を経験した話、何らかの形で表現する自由はあるし、その必要性もある。

 

本記事の冒頭も、ある種の自分語りなのだろうが、

この記憶は形として残しておきたかったので、ブログとして書いた。

確かに私は被災者ではないし、震災によって生活は大きく変わったわけではなかった。でも、地震を記憶している者として、残す。

 

我々の世代は震災の記憶を残す最も若い世代だとも言われる。小学五年生は既に分別もついた、多感な年頃である。

そんな時に震災を経験したこの世代が語り部として

活動しているとのニュースを見た。

もちろん、被災地の語り部は複雑な感情を抱えているし、簡単に捉えられる話ではないのだろうけど、確実にここ数年で語られなかったものが語られるようになったと感じる。目をそらすことなくその語りを聞くこと、受け継ぐこと、それが3月11日にすることなのではないのだろうか、、そして検索は力になる、、

 

 

今回はここまで。

考えは纏まらないが震災は簡単に図式化できるものでは無いのでこれからもこの話について書いていきたいと思う。

震災後の社会状況と、今の危機的状況はオーバーラップしているので、尚更。

 

寝ます。

 

無題

コロナがあろうとなかろうと私の生活リズムは変わらない。
3時に寝て二度寝を経て11時に起きる生活。
不健康な生活だろうが、毎日同じ生活がもたらす安心感によって健康を保てている。
(はい、ここまで和文英訳のパラフレーズ日本語みたいな文章でした〜〜)

春休みは頑張りつつも色々出かけたい、なんて思っていたものの叶わず、絶望的に暇になってしまった。
今日も、二か月前から楽しみにしていたライブの中止が発表され、やっぱりかと思う。

学生生活が始まってから、予定を詰め込む日々
が続き、ゆっくりと過ごすこともなかった。
だからこの休暇は必要だったかもしれない。
と思いつつ、バイトを行き帰りする毎日は淡々と過ぎ、いつの間にか3年生なることに焦りを感じる……
留学、どうなるんでしょう?
親からの許可は貰えるのか、未だに審議中です。

さて、暗い話ばかりでうんざりなので話題を変えよう。

唐突な話だが、スラブ語系統の言語を始めたくなった。

元からスラブ文化に興味があったし、何より中央アジアについて知るためにはスラブ語に属するロシア語が必須なのだ。
第二外国語ミスったか?、という気もしたがドイツ語も満足に使えないことを考慮すると大したことではない。
オンラインで初歩の動画を見て、挨拶くらいは覚えてみよう……(3月中)
とりあえずはロシア語を初めてみたい気分だ。
(たぶん有識者はすぐに挫折するだろうと思うよね、そもそもキリル文字すら知らないんだから……)

ますばスラブの歴史を知ることから始めた。キリル文字の発明までは確認できたよ〜(小並)

図書館、お前だけは閉まるなよッ……!と祈りながら。
おべんきょうがんばりましょう。

4度目の桜はいつ咲くのか?

今年の桜はこの地で見る3度目の桜となる。

 

まだ見ぬ桜は来月に向けて蕾を膨らませている。

桜を待ちわびる期間はいつも長い。

 

あれからもう〇年か〜という一種の懐古の念は、特に最近感じる。

というのも大学生活も折り返しに差し掛かり、

そろそろ高校生だった自分から脱却し、ますます大人に近づいている今日この頃(法律上では既に大人であるが、去年と比べて明確に大人になった感はない、まだ学部2年だし。)

 

1年の頃はカラオケオールやら何やらを平気に行っていたが、今の自分には到底できない気がする。

20歳の1年間は忙しく体を壊すことも多々あり、自身の限界をする1年となった。

 

コロナ禍に見舞われている今、尚更オールナイトで何かを出来る気は全くないし、無理のない生活を推奨されているのだろうし、まぁ、いわゆる若気の至りとされる行為とは暫くはご無沙汰なんだろうなぁと達観する。

暫くは、落ち着いて暮らそう。

 

Twitterを開けば、トレンドにはコロナ関連のニュース。〇県で新たに感染者確認、と報じられる。

そんなことよりも、どうすれば感染を防げるのか、何処が危険なのか、こちらの行動に影響を与えるような情報が多ければいいのに、不安を煽るような

情報で溢れかえっている現在、常にネットを接続するのは精神衛生上良くないと思い、Twitterのアプリをアンインストールした。(ブラウザから覗いてしまうが、何となくアプリを開いてしまう、というアレを防げる)

もちろん、こんな状況下では正しい情報を集めにいく姿勢は大切ではあるが、オフライン状態を作らねば緊張状態から解放されない、

事実、電源を入れなければなんてことない日常なのだ。但し、スーパーの品薄には目を逸らすこと。

 

この春休み、勉強してライブ行って、いろいろやって……と思っていたものの、達成出来ているのは勉強のみ。予想よりもコロナの影響は大きく、ライブを自粛するまでとなった。

いかに今までが幸せだったのか、痛感する結果となった。

野外フェスが増える春以降はなんとか、人ごみを避けつつ現場で音楽に揺られたい。

 

その日まで、家で音楽をディグったり、ライブ映像を見たりしてなんとか音楽を生活に入れたいと思う。

音楽で生計を立てている人への打撃はこちらの想像を超えるほど深刻なものだろうが、こんな毎日だからこそ音楽を届けたいとアーティストは発信を続けている。

そんなアーティストのメッセージを見ると、やはり音楽は単なる娯楽ではなく、言葉以上の発信源なのだ思う。

 

もうどうしようもなく鬱々とした日は、音楽を聴く。

それでもどうしようもない時は歌う、踊る。

発散する。

 

最近はひたすらラップを……練習している。

(暇か?暇です。コロナで予定が減ったのだ。帰省もしない。)

ラップは奥深い。

同じリリックでもリズムの乗せ方、抑揚でも全然伝わり方が違う。

これがフローってやつか!

マシンガンのように言葉を展開させられるラッパーには感服する。

 

最近はどうすれば韻が踏めるのか言葉を探している。暇の力も偉大、こんな厄介なことは始めなかった。

いや〜ジョイマン凄いわ〜今更ながら、

ありがとうオリゴ糖とか!

 

コロナが収束したら、カラオケ行ってラップをキメるんだ〜()

 

はい、まあこんなどうでも良い事はさておき。

やっと留学が決まったものの、こんな時代なので

決めかねている。

 

この一大チャンスを逃したくない一方でコロナが収束する気配が全くないので、のっぴきならない状態にあるのだ。

 

まずは親を説得させることから始めたいのだがそれが難しい。自分が親の立場でも反対するだろうなとは思いつつ、まずは親の承諾を得る必要がある。

毎日毎日辛いニュースばかりなのでたまには嬉しいニュースでも、と思うもののなかなか上手くいかないね。苦労した英語の資格もとったのに留学行かなくしては努力も水の泡である。

お願いだから留学行かせて…コロナよ、9月には大人しくなっていてください…と祈る毎日。

これは電車でお腹が痛くなった時に神様に祈るような気持ちのような、弱くて強い祈りなのだ。

飛ばせて下さい……と目配せ。

 

留学行くならば、卒業は1年遅らせる事になる。

来年の桜を見るのか、それとも見ずに再来年に持ち越すのか。

今は分からないが、来年の今頃は海外にいるのだろうと信じるしかない。

4度目に見る桜は果たしていつ咲くのだろうか……

これはまだ分からない。

 

 

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2年前、地元で撮った桜。

あれから2年。毎日は目まぐるしく変わる。

 

 

春休み、できれば毎日更新したい(今更)

読んだ本の感想とかも書ければなぁ