Naegi

逍遥

学生からの卒業

重い腰を上げて、学生時代の振り返りを書こう。この6年間は濃密で、一言で集約することなどできないから。車窓を見れば、菜の花が咲き乱れていた。春にも、魔物がいる。霞に唆されて、花たちが一斉に咲き出したのだろう。こうした気候と、環境の変化にどうかしてしまいそうだ!と思いながら、書こう。

 

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大好きなキャンパス。修了式前後はずっと雨が降っていたのに、この日だけは晴れていた。この日が私の最後の登校日だった。些細な事務的手続きのため、泊まっていた京都からわざわざ足を運んだのだ。でも、この煌めきを見れば、すべてがどうでもよくなってしまった。わたしの6年間、この風景にずっと救われていた気がする。

 

M2のころは繭のようなものに、ずっとくるまっていたような気がする。外界から刺激を受ける余裕がなかったのだ。宮地尚子さんの、『傷を愛せるか』に書いてある通り、飛翔の前には繭にくるまる時間が必要なのだ。飛行機が離陸する前の、緩慢な動き。あれに近い状態であった。

 

友人に助けを求める余裕もなく、毎日暗い部屋で論文を書いていた。これは自我通り、暗い部屋で、なぜか電球をつけるのが嫌だった。ずっと低空飛行を続ける時間だった。無事、修論の試問にも通って修了することになったのたが、悔しさは残る。教授たちの講評を聞いていて、もっと頑張れたのに、と思うも、頑張ることはできなかったのだ、と自分を慰める。頑張りたいのに頑張れない時は存在する。そんな自分を受容する。院生時代の私にはできなかったけど、これからは大丈夫。練習すれば良いだけなのだ。社会人としての自分に対して、いっさい期待していない。

 

式辞を聞いて、思ったこと。

 

相手に対して最大限のリスペクトをこめて付き合うには、邪推しないことが必要だ、と。情報が氾濫し、常時接続の時代だからこそ、一面だけを見て勝手に全体像を結ばないことが必要だ、と。断片を繋げて像を作るのは、きっとAIにもできることなのだろう。答えを出すことも、簡単である。ただし、それが本当に正しいのかはわからない。人の気持ちはエクセルのように、関数を入れたら答えが出るようなものではない。複数の事項から気持ちを推測することは容易いが、本当のことはわからない。他者が他者であることを受け入れて、境界線を引くこと。垣根越しに愛すことが、これから求められるのではないか。

 

私の話でいえば、ソーシャルメディア上の自己像は一面に過ぎない。虚像とまではいかないが、フィクションとリアルのあわいにあることは間違いない。そして、語り手は嘘をつくのだ。

 

文学を学ぶということ。これは終わりのない旅である。恩師に出会えてよかった。恩師の文学論は、私たちの常識や思い込みを軽々と飛び越えてしまう。私はそれを目指したが、無理だった。膨大なインプット量に裏打ちされた閃きの賜物である。そして、インプットは永遠に続く。終わりはない。研究室を離れてもなお、それは可能なのだ。

 

後輩や友人からの手紙を読む。明るい人だと思ってくれて、ありがとう、と率直に思った。私は底抜けに暗く、明るい。周りに対して、明るく振る舞えていることが、最高の幸せなのだ。人と関わる時くらい、楽しくいたい。知らない間に、願いは成就していたようだ。

 

友人と別れるとき、寂しかったのに明るく澄んだ気持ちでいれたのは、私の小さな願い事が叶った証拠なのだろう。執着を持たずに、上手いところの距離感を保ちながら付き合えた証拠なのだ。遠く離れていても、すぐ会えるよ。

 

後輩から花束をもらう。オレンジ色の花束だった。

 

それぞれ、楽しくやっていきましょう。そして、時には時を共にしましょう。

 

MONO NO AWAREの「そこにあったから」では、クライマックスで「ああいつまでもみな幸せでいて」という歌詞がリフレインされる。盛大なコーラス。私も、このコーラスに混じって叫びたい。

 

ああいつまでもみな幸せでいて。

各々、幸せを見つける術を身につけようね。

きっと、上手くなるはずだから。

大学時代は、どうしても周囲と比べたり、他人の欲望を欲望するというアレに囚われていたが、これからは違う。別々の道を辿って良いのだ。

 

祈るようにして、文が続いた。

それに呼応するかのように、電車の外に菜の花が広がる。

 

私はこういう景色を求めていた。都会のビル群はどうしても慣れない。田舎で育ったから、農村の風景が恋しいのだ。

 

大学で都市部に移住したが、ずっと慣れなかった。巨大な広告都市。欲望が生み出され続ける年には辟易としたが、駆り出されるようにして消費をしていたことは間違いない。これからは消費のスピードを落とさざるを得ないし、落とした方が幸せかもしれない。

 

幸いにして、研究科から賞をいただくことができた。受賞の告知を見た瞬間は半信半疑だったが、嬉しかった。単なる通過点に過ぎないが、あの苦痛の日々がちょっと、報われた気がした。修士論文自体の完成度は低いものの、今後に続く種がたくさん見つかったのは大きな功績だろう。研究を続けられる環境にはあるので、在野研究の道を拓いていこうと思う。

 

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最後にもう一度。大好きな池を載せよう。

 

暗闇の中、友人と池の周りを歩いて語り合った。あの日々を忘れることはできない。暗闇は大きな力を持っている。そんな力を教えてくれたキャンパスだった。キャンパスには森林があった。

時折、森林の中を歩いていた。逍遥することの楽しみを教えてくれた。

 

6年間、この大学で過ごせて良かったと思う。

 

関西という場所も、学生にとって非常に良い場所だった。週末は本を買いに行き、水面を見に行く。これが楽しみだった。

 

本といえば、大きなジュンク堂が梅田にあったし、京都の丸善も良い品揃えだった。やはり、一乗寺恵文社は外せないだろう。

 

水面といえば、大学はもちろん、出町柳の鴨川デルタ、下鴨神社が好きだったし、神戸・舞子から見る明石海峡須磨浦公園から見る大阪湾が好きだった。

 

そう思えば、幸福な6年間だった、といえるだろう。

 

今までありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。