Naegi

逍遥

暑さのせいだよ

せっかくPerfume衣装展に行って、感想の記事を書いていたというのに、記事の一部が消えてしまった。悲しさのあまり公開を停止。何かに追われている感じが拭えない。もう少し、焦る癖をなくせばミスも減るだろうに。

 

それにしても兵庫県立美術館はいいな〜なんて言おうとしたら、兵庫と京都で韻が踏めることに気づき、間に挟まれた大阪はどうすんだ!?と、くだらないことばかり考えている。

 

たぶん暑さのせいだ。9月とは考えられない温度に毎日やられている。日焼け止めを塗り忘れた暁には、トーストの眺めのような日焼けができてしまう。パンプスの跡が残る。暑さに狂った蝉が鳴いている。I have had enough of this summer! なんて最近覚えたフレーズを言ってみる。うんざりだ。金木犀よ、咲いてくれ。はやくフジファブリックを聴きながら、感傷的な気持ちになって、街を歩きたいというのに!日本はいつのまにか常夏の楽園一色である。たまんねえな、wow wow wow yeah yeah 

 

 

次の旅はどこ行こう?と考えている。海外旅行にも行ける状況ではあるので(円高には目を瞑りたいが)、どうしようと雑誌を広げる。ヨーロッパに行きたいが、フライト代がめちゃくちゃ高いので学生のうちは難しいだろう。今はGoogleマップストリートビューで世界中を旅できるので便利だ。

 

それに、KindleUnlimitedではガイドブックがたくさん読める!サブスクの奴隷になっているのかもしれない。Perfumeのさよならプラスチックワールドで警鐘を鳴らされているのは私のような人だよ。実際に体験しなきゃ!

 

なんというか、最近の私は調べただけで満足してしまう傾向がある。レビューを見て満足しちゃう、そんな人。だからなのか、退屈を感じやすくなっているし、過剰な思考を抑制できない。Don't think, Feel itとはよく言ったものだが、そろそろ自然の中に自らを投じてデジタルデバイスから離れる機運が来ているのかも。

 

修論にようやく目処がたった。古い雑誌の記事を読んで、おもんない洒落文句に苦笑してしまう。これだから雑誌研究は楽しい。文章を書く人ならわかるだろうが、凝った文章を描こうとすると、肩に力が入ってしまう。だから、読みにくかったり陳腐な言い回しになってしまう。そうしたものを文章の中から見つけ出すのが好き。随分と性格が悪い見方だが、それくらいの気持ちでいないと、作者の意図に振り回されてしまう。

 

Twitterが好例だけど、書き手が織り込んだギミックに反応してばかりだと、何かを見失う気がする。分断を煽るような潮流に流されてはいけない。もちろん、私の立場はあるけれど、悪い意味でのエンパシーもすぐに膨れ上がる。ブレイディーみかこの、エンパシー論を思い出す。

 

優れた書き手は、そうした織り込みだけではない、余白を残してくれていると思う。これを書いたら、こう反応されるだろうな、みたいな、予定調和に満ちた文章ではない。よい作り手とよい読み手が合わさったときに、すばらしい論評は生まれる。文学研究をする上で、私は作者の意図をなるべく俯瞰できるように、そこに入りすぎないようにしている。Twitter的な反応は避けたい。でも私はタイムラインから逃れられないでいる。

 

とはいっても、良い逃げ道はある。カヤックの動画を見ることだ。私は水面と水音が好き。静寂が好き。これを満たすのがカヤックなのである。なお、私自身はカナヅチなので水上でのアクティビティには二の足を踏んでいる。それでも憧れがあるのは、きっと梨木香歩さんのエッセイが『水辺にて』があるからだと思う。水面という境界線を彷徨う漕ぎ手に自らを委ねる感覚で、カヤックの動画を見る。

 

マインドフルネス的なものに馴染めず、私は動きながら考えている。だが、この酷暑のなかでどうにもすることができず、どんどん自身が沈んでいくように感じた。Perfumeの「マワルカガミ」の歌詞のようだった。

 

僕らは暗闇の

水中から見上げる 

夢を見てもがいて泳いでいた

 ーPerfume「マワルカガミ」

 

ずっと底にいる感じがしたので、浮上してみた、というわけだ。水に対する恐怖感を克服しつつあるのかもしれない。

 

最近はなんだかとても眠い。寝ても寝ても眠いのは暑さのせいだ!!!!なんでもかんでも暑さのせいにしないと、やってらんないよ〜