Naegi

逍遥

0517 5月の熱気 組織のことなど

5月の熱気にやられてしまった。

5月といえば、アリ・スミスの短編集『5月』を思い出す。木に恋をしてしまう人の話。かつてイギリス文学のアンソロジーで読んだことがあるのだが、さいきん新訳で刊行されたという。アリ・スミスの軸足の定まらない文体はじつに愉しい。わかりやすさから逃れるための手段のようにも感じる。家にアリ・スミスの短編集がいくつかあるので(図書館本)、しっかり読もうと思う。共感型の読書ばかりしていては、Echo Chamber症候群に陥るから。

 

考えることがおおよそ一周した気がする。大学生活にはおおよそ満足したと思う。だから、来年度から違う組織に所属するのは心の底から嬉しい。たしかに、大学生は人生の夏休みで、社会人は40年奴隷生活とか、そんなことを聞くことがある。組織で生活することは制約が多いものの、制約をある種、ポジティブに変換することができるのではないか、と思う。岸本佐知子氏のエッセイ『ねにもつタイプ』でも、そんなことが書かれていた。組織における制約下で生きることは必ずしも悪くないという。

 

大学生活も6年目となると、そろそろ所属が欲しいとおもう。理系の厳しい研究室にいる人からすれば、そんなこと戯言かもしれない。たしかに、わたしは個人事業主的なやり方で、全てを自己責任でやってきた。が、かんたんに自己の内側に思考を収めてしまうことができるので困る。ある程度の通気性が担保されない環境であれば、わたしはどんどん腐っていく。贅沢な悩みかもしれないが、さまざまな組織を経験したからこそ思うことはある。やはり、適度な負荷は必要なのだ。

 

あと、組織における「文法」を学びたいと思った。アカデミックライティングにおける定石を6年かけて学び、ある程度は研究のお作法を押さえられたはずだ。課題は山積みであるものの、なんということであろうか、わたしは満足してしまった。内発的な何かがなければ研究は続けれられまい。だから、就職という道を選んでよかったのだなと最近実感する。もちろん、完全にビジネス的なお作法を内面化しようとは思わない。どちらかといえば、人類学者のジリアン・テットが述べるような「インサイダー兼アウトサイダー」の立場から組織というものに携わりたい。人文学を学んだ言葉の強みは、ここに集約されるだろう。境界線を引きつつも、その「文法」を学んでいく。大変なこともあるだろうけど、概ね社会人生活に対しては希望を持っている。

 

実は志望動機もこうしたところにこだわった。将来的に組織を俯瞰した何かができるか?前提の違いを顕在化し、そうしたものをうまくコミュニケートできるか?云々。わたしは抽象概念を伝えること、考えることに強みがあるので、ここに志望動機を置いたのはよかったと思う。これは紛れもなく本音であり、そこを評価してくれる組織とは縁があるのだろう。

 

修了まで、こうした枠組みのことをしっかり見つめ、広い海に出ようと思う!『これは水です』にあるように、魚を取り囲む水に気づくこと。人文学を学んだ人の使命というものに、向き合おう。久しぶりに語学の勉強をしたり、研究対象の外にあることを積極的に読もうと思う!その意味でのオープンマインドは大切かもしれない。