Naegi

逍遥

正論のストレートパンチ

正論だけでは世界を救えないよね〜。マクドナルドで女子高校生が言ってたよ。嘘松だよ〜。

 

日々に忙殺されると、正論ばかりが脳裏に浮かぶので困る。確かにタイトなスケジュールに生きると、正論で物事をぶった斬るのが妥当なんだよな。少しでも温情をかけようものなら、スケジュールは狂って面倒なリスケを迫られるから。あくせくと生きる必要がなければ、正論を振り翳して断罪することなどないだろう。が、忙しさで殺伐とした心持ちになると、一気に正論が噴き出てしまう。

 

正論みたいなものが、実は相対的だ、としたのはギリガンのケアの倫理だったっけ。道徳なるものが絶対的なものではないと示したはず。

ケアの倫理みたいなものを考えると、わたしが正論パンチを食らわせていたことについて反省を迫られることになるわけだ。

 

ボケとツッコミの立ち位置を考える。正論キャラ、換言すれば観客と同じ地平にいる存在はツッコミで、トリックスターや同化のような存在だ。ツッコミする側に慣れてしまうのって怖いと思う。自分の意見がマスだと思ってしまう怖さがある。自分が正気の側に立っていると思ってしまう…

 

それでもメタ的なツッコミは好きだ。というか、1人で完結する人が好き。狂気と正気の併存は可能であると思えるから。わからないけど。

 

ツッコミだと思っていたことが他者への断罪だった!という本当にありそうな怖い話。正論とかロジカルシンキングだけでは世界は成り立っていない。クリティカルシンキングの授業で、「感情論だよね」と一蹴していた学生が先生に嗜められていた。感情論は悪なのか?例えば、それが極めて当事者性が大切だとして、その語りを感情論として片付けることこそ暴論なのではないか。

 

あなたの感想と一蹴することは実のところ、全くのロジカルシンキングではない。

 

気持ちは毛羽立っているけれど、何とか楽しくやってるつもりです。この前は留学生の先輩に中華料理をご馳走してもらった。オーセンティックな中国料理、めちゃくちゃ美味しい。香辛料が効いていてる。でも、あれは中華鍋がなければ作れないらしい。

 

ルールーというの名前の杏仁豆腐ドリンク美味しかった。帰りに中国の食品店に寄って、サンザシのお菓子を買った。甘酸っぱいサンザシが大好きだから。サンザシスイーツの定期便とかないかな。

 

こんな感じで、日々生きている。